漫画マンガMANGA 其ノ五。
預言者ピッピ 1 (1) 地下沢 中也 関連商品 片岡さんちのクリコちゃん 1 (1) (イブニングKC) パパと踊ろう 小市民よしはるの道草の巻 (ヤングマガジンコミックス) パパと踊ろう 天下一の遊び人しげるパパの巻 (ヤングマガジンコミックス) by G-Tools |
ピッピというのは地震予知能力を持つロボットなのですが、「地震予知」にピッピを造った研究所の人間側が限定しているだけで、実際はその他の予知に関してもできる能力は持っています。でもそのことは公にはされていません。あくまでピッピは地震予知のみに限定されたロボットなのです。
この地震予知というのは「人間の生き死に」に関わってきます。予知することによって、これから確実に起こるであろう大地震で失われるたくさんの人たちを救うことができます。天災・災害というのはいつ起こりうるか分かりません。それを未然に、最小限の被害で済ますことができるというのは大変喜ばしいことでしょうが、それならばその他の、病気だとか地震以外のこともピッピは何とかしてくれるのではないか?という期待を、人々が持っても不思議ではありません。治療法の見つかっていない難病の原因をピッピが追求することで治療法がみつかるかもしれない、、。
どこで「線引き」をするか、ということです。生き死にの。しかもそのことはピッピがするのではなく、あくまで人間側が線引きをしてるのです。ピッピは人間が求めることに応えているだけに過ぎません。ある意味これまでも人間側が「地震予知に限定」という線引きをしてるわけです。そこですでに1歩踏みこんでいるじゃないか!コレ以上踏みこみたくないなら、初めからあなたたちはピッピに地震予知さえさせるべきではなかった、という人も作中に出てきます。
テクノロジーと倫理の綱引き。この2つの責めぎあいというのは現在も重要な問題です。どこまでなら許されるのか?テクノロジーで救われる命もあるのに、倫理がそれを許さない。そこで許してしまうと今後悪用される危険性があるのではないか?などなど。
わたくしもこの作品を見てこんなことを思いました。テクノロジーというのは今現在、人間に許されてるから在るとも言えると思うのです。誰に許されてるかと言えば、それは神様ということになるのでしょう。神様のいるいないについては、こう書いた方が簡単に伝わりやすいと思うから書いています。でも大体の人はそういう理解でしょう。クローン人間を作ってはいけないというのは、神様の領域に入りこむことになるからと。人道的でない、というのもつまるところはこういうことだと思います。そういった意見には「欧米的」な思想も強いのかもしれませんが。
話を戻しますと、テクノロジーは許されてる・使うことを許可されているから存在している、と。ならば最大限に使ってもいいのではないか?そのことで神様の領域を侵すことにはならないのではないか、という考えも一方では頭に浮かぶのです。最大限に使わない、とするならそれは人間側の線引きになるのですから。その点について博士も苦悩しています。
制限と進化。こだわるかこだわりをなくすか。
ピッピが全面的に予知をして、人間がこれから進む未来を、全てを明らかにしてしまったとしてもそれはあくまで確率の上でのことです。過去のデータから導き出した未来の姿に過ぎません。我々人間にはピッピには無い「創造力」という力があります。人は未来を創造できるからこそ人だ、とも言えます。しかし未来を告げられることで、その創造力を奪われてしまう人もいるのではないか?と博士は危惧します。そういった人たちにとってはピッピが神格化されてしまうのです。
自分たちが勝ち得たものならいざ知らず、そういった道のりを経ないで、精神の準備もできてないうちに必要以上の、過剰な情報・イメージを与えるべきでない、受けるべきでない、求めるべきでないという考えもわたくしにはあります。たぶん博士もそういう考えでしょう。しかしくり返しますが、ピッピは神様や人以外の何者か、ではなく人が作り出したテクノロジーなのです。道具に過ぎません。
どちらが正しいかは分かりませんが、どちらにせよ進化であること・進化を求める方向であることには変わりません。簡単に言えば、テクノロジーを最大限に駆使した急激な進化と精神が成長するにつれてのテクノロジーを制限した緩やかな進化、どちらを選ぶか?ということを問うているんだと思います。