オザキとキーチ。
今TVでオザキをやってるので見てる。茂木さんが出てるんだけど、茂木さんもオザキのファンらしくいろいろ話してる。「オザキは弱かったから、ああいう強い歌を歌うしかなかったんだろう。そういう風にしか生きるコトができなかった。」「彼は真面目。」ワタクシもそう思う。真面目だから、世間から見ればソレが反抗的に見えるコトがある。真面目で不器用で、自分を欺くコトができない。
19才のオザキ。だんだん虚しくなってったんじゃないのかな。若かったから余計に。何万人という球場の観衆の、歓声が遠くに聞こえる。彼は叫べば叫ぶほど孤独になってったのではないのだろうか。今シェリー歌ってるけど、そうすると切ないよね。「愛すべきもの全てに」て。愛したいけど愛せない。オレは愛したいんだぁーて、彼の歌が全部逆説的に聞こえるよ。転じてオレを愛してくれ、理解してくれ、と。何がそんなに彼のカベになったのか。声を枯らしながら叫んで、千切れんばかりに手を伸ばして、でも彼は自らつくったカベを突破できなかった。
なんかキーチとオザキてカブるんだよね。もちろんオザキの方が先なんだけど。今日発売のスペリオールで『キーチ!!』が『キーチVS』となって再開した。「大人編」というコトだ。ワタクシは単行本を見て1ヶ月ぐらいしか経ってないので、そんなに待った感は無いのだけど、リアルタイムで見てた人は「待ちに待った!」だろう。
キーチや甲斐ら主要人物はまだ出てこない。時はどうやら今回の話に出てくるコンビニの雑誌の見だしによると、アレから10年後みたい。てコトはキーチは20才だ。成年。大人。というコトはいよいよ法律に引っ掛かってくる。もう子供編のようなコトをやってたら話はすぐ終わってしまう。ので、どう話が展開するのか?ソコが見どころなのと、目覚めた秋ポンがどうなのか。
ソレと状況の変化といえば、漫画上でキーチ信者の数がより増えたというコトだろう。10年後、だとするなら10年前にキーチの洗礼を受けて育った「キーチ世代」「第2第3の甲斐」がゴマンといるはずだ。いわゆる世間にも、否定できないがゆえ「キーチ的哲学」が浸透していると、今回の話から見受けられる。ソレをどう生かすか。
『キーチVS』。何とキーチがVS(対)なのか。痛みを受けた、傷つけられたなら怒れ!イカれ!ソレが例え時代からでも世間からでも国からでもだ、というコトだろう。キーチはやりとげられるのだろうか?コレからが見モノである。