なぜカフェをやりたいのか②
出店したい街(いくつかある希望地のうちの1つ)でこんな光景を見かけた。ランドセルをしょった帰宅途中の小学生の女の子たちが、八百屋さんにあいさつをしていた。見てて微笑ましく思った。こういう光景は人の心を和ませる。
ソレと同時に「ああ、こういう光景て昔はよくあったような」「最近はこんな光景、とんと見なくなったな」と思った。何でもないコトなんだけど、その何でもないコトすら失われてる現代。そんな昔見た光景・昔はよくあった光景が、まだ残ってる街であり商店街に出店したい、と思ってる。
不特定多数の「ふらっと客」を相手にするのは、自分の性格上気疲れしてしまうというのもある。「相手の顔が見える商売をする」というのは、ふらっと来店したお客さんではムズかしい。お店を続けていってある程度すれば、顔なじみのお客さんが増えてくる。ソコで初めてそういうお客さんの「こんな顔が見たい」「どうやったら喜んでくれるか」といったイメージに想いを巡らすコトができる。
ワタクシの場合は全てがイメージングから始まる。その絵がみたい・光景が見たい、の1点のみと言っても過言ではない。結論から始まる。じゃぁソレを現実のモノとするにはどうするか、、。そういう逆算をしてく。その逆算をまたアレコレ考えてく。こういったお客さん1人1人の顔を思い浮かべて、、、という営業のやり方は「商圏がせまい」やり方だと言える。
しかし、コレから書くコトは矛盾してるコトカモしれないが、ワタクシはこの「カフェをやりたい」に関しては、いわゆる「人が好き」「人と接する仕事が好き」というよりも、
☆自分の表現するモノ・センスに共感してくれる人探し☆
なのだ。その辺はおもいっきり表現者の思いといっしょなのである。