今という時代について。
何日か前に、雑誌・ラジオでは良くみかけるM先生とトチジの対談番組をやってた。M先生はもう何遍もおんなじコトを言ってるのか、自分にとって当たり前の常識になってるからなのか、早口でとうとうと、噛むコトもつっかえるコトもなく話してるんだが、その話が面白かったなぁー。ふ〜ん、社会学て面白いのカモなぁと思った。トチジはあまり集中して聞いてなかったように見えたが(笑)、ワタクシはまだまだ聞き足りず、放送時間のあと倍ぐらいは聞きたいなぁーと思った。
このM先生は風上に立ってモノを言う立場にある人だから、まぁいろいろ言われてるみたいではあるけど、そういうのいっさいがっさい抜きにして、ただ単純に面白そうだなーと。
状況依存だとか言う方もいるみたいだけど、なんかソレを言っちゃおしまいよ!て感じもする。たしかにアンケートとか調査に頼りがちなトコロも見受けられる。そもそもアンケートに答えてる人自体、果して割りきった気持ちで答えてるのかとかね。100%こうだ!て言いきれないてのはあるし。そういったビミョーな考えはこぼれおちちゃってるトコロがあるだろうし、そういうのは反映されないだろうし。でも何かを起点にしなきゃ始まらないんだから。とりあえずはそのアンケートやら調査結果を基に出発していかないと、コレ始まらないワケ。
哲学なんかも似たようなコト言えると思うんだけどね。そんなムズかしい議論を戦わせなくても、な〜んとなくだけど直感的に、ぼんや〜りとだけど答えは実はすでに出てたりする。結局ソレを正しいか正しくないか証明してくためにいろいろやってくワケだよな。な〜んとなく出ててもソレはさておきで、議論をしてくコトでいろんな収穫もあるワケで、ソレが大事なんだよね。だからぶっちゃけ結果とか答えはどうでも良かったりする。
コレはとあるスピリチュアリストの方にも言えるのカモしれないけど、例えば信じる信じないて話に必ずなるよね。でもそういう表層的なコトはある意味どーでもよくて、あの人がTVでああいったコトをしゃべる・TVに出演するそのコトによって、魂とか想念とか霊の存在とかを全て怖れるモノではなくいろいろあるんだよとか、そういう存在をもっと身近に感じる・もう少しそういうコトを考えてみましょうというきっかけになれば、ていう考えもあると思うのね。
あとこんなコトを言ってたよ。今の人たちは想像力が足りないと。人てのは、愛と知恵があるから「人」なんだと思うね、ワタクシは。感情と理性と言ってもいいけど。知恵てのは考えるコトで、ソコに愛が加わる、愛を持って考えるてのが人を思う「思いやり」につながる。思いやりを持つから「人間」なんだよな。人の「間」と書いて。
M先生の話にもどるけど、TVを見てからこの先生の本を読んだコトがなかったので、1冊買ってみた。10年近く前なのかなー、古い本なんだけど、この先生はこの頃もうTVで言ってたコトと同じようなコトを書いてて、だから「あー、彼の中では常識なんだ」となおさら思ったワケだけど、やっぱりこの現代社会てのは「相手が見えない」社会でしょ。ワタクシ思うに、住居が昔は横に平たかったワケじゃない。だからお互いの顔が見えたワケだよね。でも今は上にいっちゃってるワケだよ。高層になってきてる。頑丈なコンクリの建物でさ。そりゃ個々の関係は閉ざされるに決まってるよな、て。相手が見えないから思いやりにつながらない。昔に比べて欠如してると。コレだけを取り出してもそう思うワケで、まーこのテーマで書こうと思えばキリがないくらい書けるけど。
でもこの本にも書いてるけど、全体主義・全体意識の復活はまずムリだろなー。走る目標を失ってるワケだからさー時代が。幸せのレベルが個人個人でちがう時代になっちゃったんだもん。個人個人で目標がちがう時代。だから目標を持てなくてうろうろさまよってる人もでてくるワケでさ。ソコを前の世代は理解しづらいし、ジェネレーションギャップが発生する。この世代が一番時代に対応できないだろうな。そのくらいの極移動(=ポールシフト。本来の意味とはちがうけどニュアンス的に。パラダイムシフトの方が正しいのかね?価値基準の変化てコトだよな)があったてコトだし、過渡期なんだろうね。