暗いところで待ち合わせ。
映画の紹介番組みたいなのでやってて「観たいな」と思ってた映画で、この作品紹介の数シーンを観た方は分かると思うんだけど、バレないように息を潜めて女の子の部屋に潜り込んだ青年が、その女の子の手をつかんで外へ出てくシーン。なんとなくストーリーが分かっちゃいそうではあるけど、実はあの先に意外などんでんがえしがある。
観終わった後「ソレはないやろ〜〜」という設定が3ヶ所ほどあったが、まぁソコをツッコんでも成り立たないし。つってココではツッコんでしまうが(笑)、まず事故で主人公のミチルという女の子は盲目になってしまうんだけど、この子は父親を亡くしてしまうんですよ。で、盲目の人が1人で自分の家に住むという。普通なら誰か引き取るだろ。いくら何でもソコまで世の人々は冷たかないだろ(ツッコミポイント1)。ところが、ココで誰か引き取ってしまうと話が進まない。父親の保険金でお金には困らないし、家から出なければいい、家のコトは全部知ってるからてんで、この子は1人で家で暮らすようになる。
あと低いイスに乗って食器棚の上のモノを取ろうと背伸びしてたら、イスから転げ落ちて棚の上のモノが落っこって、同じく上にあった土鍋が倒れてるミチルの顔めがけて落ちてくトコロを、潜んでた青年が手を差し出して寸前で土鍋をキャッチ!間一髪!てトコ。青年は土鍋をどうしたかっていうと、倒れてるミチルの右横あたりの床に「コトン」と土鍋を置く。割れなかった土鍋。この家に誰かが居るとうすうす感づいてたミチルはその「割れなかった土鍋」に気付き、確かに誰かがいるんだと確信し「ありがとう」と言う。ありえないな〜。ワタクシだったらとりあえず土鍋を両手に抱えてうろうろしながらも、ミチルから距離を置いたテーブルの上(下に物音がしなさそうな布系が敷いてそうなトコロ)に置くよな。だのになぜ、だよ。わざわざ音がしそうな木の床面に置くか。「コトン」てちっさく音してるじゃない!絶対キコエテルヨッ!(ツッコミポイント2)
で、一番ありえないのはやっぱあの人ですな。あの人の身の早さていったらない、、。ハヤテのように現れてハヤテのように去っていく、だよ。強引だな〜ていう。(ツッコミポイント3)
でも全体的には良かった。あの青年の気持ちも分かるんだよね。ワタクシも似たような気持ち持ってるから。人一倍人のコトを考えちゃうんだよな。迷惑じゃないかなとかね。そうしてくうちにココロの中のいろんなとこにシャッターを閉めていく。もっと信用できるモノならしたいけど、あんたにそんな器があるのかよ!てそういうとこの信用だよな。引いちゃうだろ、しっかりレシーブできないだろ、ていう。ワタクシは物心ついた早くからソコを裏切られた気持ちが強いから、今だにその後遺症をひきずってるけど。でもソレも突き詰めると自分に自信が無いからなんだよね。自分も確固たる強さみたいなカタマリが無いから人に対してもどうどうと対峙できないというか。裏切られたから「自分」じゃダメなのかな、ていう。でもやっとね、ホントの素のまんまを出せるかなていう、そういう場を作ろうと思ってるし、時代的にもそういうのが受け入れられる時代にやっとなったじゃない。そういう部分で今という時代は恵まれてると思うけど。
あの青年はそういう気持ちになったのかは分からないけど、たぶん手をひっぱったのはソレだと思うんだよね。自分のようになっちゃいかん!的な。だんだん話が進んでくにつれて、ミチルと青年が一心同体というか2人で1人のように見えてくる。お互いが鏡うつしの存在。
たしかにね、家から一歩出た途端こんな事件に巻き込まれるんだから「世の中に出る」というのが良いのか悪いのかはどちらとも言えない。家にいれば安心ではあるけど、その変わり刺激も無い。自分が決めたせまい枠内で生きるだけじゃ、自分自身の成長が望めない。死んだように生きるか。たぶん青年はミチルに出会うまでは死んでたんだと思う。ソレじゃダメなんだていうのを、目に見える形でミチルから知らされたというか、あそこでミチルの手を引っ張りにいくコトで、ソレじゃダメ!というのを伝えたかったんだよね。
生きてると信じられないコトとか人が多いけど、ソレに比べて数は少ないけど信じられる・信じてみようという人も探せばいる、ていう話かな。せっかく生きてるんだから人生ていう長い時間かけて、そういう人を探してみましょ。たぶんそういう気持ちで毎日過ごしてれば、そんな人に逢えるでしょう、ていうね。