ただいま激動中⑫。
ゴリコックに「チーフの教え方はうまいかヘタか?」と聞かれて、その時ワタクシは「人によって違うと思います」と答えた。コレは人によって受けとり方は様々だからという意味合いだったのだが、今改めて考えてみるとチーフは「区別」してたと思う。というコトは教える側も「人によって違う」対応をしてたコトになる。
チーフはどちらかと言えばあんまり自ら教える人ではない。ただやる気があって(バイトでやる気がなかったらなんの取り柄もないので、コレは当然のコト)、自分から積極的に仕事を志願する人には割合マンツーマンで教えていた。というコトはやる人とやらない人の差がついてしまうコトになる。ソレを知ってかチーフも教える時はひっそりと隠れるよに教え、積極的にやらない人たちへの「ひいき」みたいな部分を軽減するようにしていた。
あと例えばポテトサラダを作ってるとすると、通りがかりに味見していく。コレは上の人からすれば当たり前の行為。調味がちゃんとできてるかどうかの確認。ココまでは至極当然なのだが、この根底には「心配だなぁ〜、コイツにまかせて大丈夫かなぁ〜、、」という部分がなんとなく窺い知れる。ようするにまかせるコトができない性分なんだと思う。まるで子離れができない親のように。人に任せきれないから教えられない。だからともすればチーフ自身が全ての仕事を抱え、自らの首をしめる格好になる。
一方ゴリコックは4月から派遣されてるので、働いてる人に対する固定観念がなかったのが1つ。そして彼の使命というのが「店の立てなおし」なので、全員の実力をUPさせなければならない。というコトはできるできないに関わらず、もちろん人手不足もあるけど、誰もが何でもできるコトはやらなければならない、という考えに立っている。分け隔てなし。分け隔てのありなしもそうだし、人に仕事を任せて信用できるかできないかの部分。結局この差なんだなぁーと思う、根っこは。
コレはもう「コーチング」ていう領域になるのカモしれないけど、責任ある仕事を任すという負荷をかけてあげると、潜在能力を開花させる人もいる。コレはある種賭けカモしれない。でもココで任された側に「自分がやらなきゃマズい」などの危機感・使命感が芽生えば、他人が手取り足取り一から教えるコトよりもっと大事な精神の部分を身につけるコトができる。全員が全員とは言わない。が、入った早々いきなり実戦投入してグンと実力を開花させる人は確実にいる、というコトだ。
ワタクシはチーフとゴリコック、どっちが正しいとは言えない。どっちも一長一短あるようにも思える。ゴリコックも自ら「自分のようになれ、とは言わないけども、、」とチーフに言っている。ゴリコックとチーフは違うけども、ただせっかく短期間ながら来ているのだから、良い部分はどんどん学んでいかないといけないよね、とチーフに対して思う。「鬼コーチ役」も結局は会社から任命された仕事なんだろうし、ガミガミ言われてる方も嫌だろうけど毎日ガミガミ言ってる方も毎日「嫌だなぁ」と思って通勤してるんだろうし。ゴリコックも「仕事だと思って割りきってやらなきゃ」て時々言うんだけど、ソレは自分に対しても言ってるんかなーと思う時がある。