店舗起業支援塾 新年会①。
人の死というモノは、身近にいる人でない限り人づてで、誰かが知らせてくれるコトにより初めて知らされる。でもそのコトを聞かされた者にとっては、ソレは単なる情報でしかなく全く実感などありはしない。そのコトを聞かされなければ、その人が今もなお生きていると信じている。
昨年のこのセミナーを共に受講されてたある方が今月20日に他界された。その方については以前の『開業起業支援塾 最終回の最終回』(2005年12月11日参照)にワタクシは文章を書いた。バスに乗ってる際、心筋拘束で無くなられたらしい。享年51才。他の受講生の人たちが言うには少々太られた感じがしたという。
ワタクシは彼の笑ってる顔しか思い出せない。他の顔は全く。いつも彼は授業の受付の席でにっこりした顔で座っていた。ワタクシはこの人の笑った顔が好きだった。なんでこんなに笑えるのだろう?と思っていた。この笑顔のウラに隠された何かが、、と頭のカタスミで思っていた。たぶん様々な修羅場をくぐってきてのこの笑顔、なんだろなと。
彼は飲み会の席ではいつもお2人いる娘さんの話をしてたらしい。高校生1人と大学生1人。いつもみんなに気を配って、ビールを注いだり率先して追加注文をしたりお勘定のまとめ役をしたり、彼自身はあまりビールや料理に手ををつけなかった。彼はセミナーのメインの先生と親友で、先生の女房役といってもいい。歳も51で会社の取締役なのだけど、かたや大学に通い分厚い論文もつくったという。非常にパワフルでエネルギッシュ。そしてこういうセミナーに通われてるというコトは、何かしらこの先でコトを起こそうと考えていたはずなのだが、、。志半ばで旅立たれてしまった。
笑ってこの世を去る、というのは罪と紙一重だ。残された人間の心の中で永遠に笑ってる。でもその人はもうこの世界にはいない。ソレでももし自分が、、だとしたらやっぱり笑った顔のまま、でいたいと思う。知り合った人の心の中に、まわりの人の中に。身近に、愛する人の中ではいろんな顔でもいいのカモしれないが。家族の方々はソコで初めて、失した人の外での人間の良さ、評判を聞かされるのカモしれない。いつも笑ってて、いい人だったと。
そういう意味で今回の新年会は、天へ召されたあの方への感謝会になった。ワタクシはこのセミナーの打ち上げが終わってみんなと別れる時に、彼から言葉をもらった。ソレは起業してからの話で、事業というのはうまく行くといろんな甘い誘惑をしてくる人もいるから充分気をつけなさい、というコトだった。ソレにはブレない自分の芯を持つコトで、今はあっちへフワフワこっちへフワフワで、考えてるコトもコロコロ変わるし、ソレは自信の無さから来るコトだけども、開業して自分の考えたコトが人に受け入れられたという実感・感触が少しでも持てたら「ああ、コレでいいんだな」と自信が持てるカモしれない。そうなればまわりの誘惑にも負けずに、自分を信じて突き進めるんだと思う。そうなるには始めからアレコレ手を出しすぎないで、いくつかに絞り込んで、自分が納得できて自信を持って提供できるモノだけにする、というのが一番早く確実なんだと思う。もちろんリスクをなるべく抑える、という物質的な意味もあるけど、「絞り込み」というのは精神的にも意味があるのカモなぁ。会社にかかってくる電話でそーいうオイシイ話系なのが多かったらしく、こう提言してくれたんだけどね。1度でいいから彼の授業を受けたかったなぁ、と思っていたのだが、この時がそうだったのカモしれない。
でもその時に自分も彼に言いたかったコトが言えたし、彼から言葉ももらえたし、そういう点では良かったと思うし悔いは無い。やっぱり人ていついなくなるか分からないから、伝えたいコトは伝えた方がいい。そして歳をとってからできるなんて保証はドコにもないのだから、やれる時にやり始めた方がいい。人間はこの世に産まれ落ちた瞬間から死へ向かっている。そーいう意味では年齢は関係ないが、歳をとるにつれ確実にリスクは増えていく。人はいつかは死ぬ。でもいつ死ぬかは分からない、未来は誰にも分からないから生きていける。未知だから可能性を信じて生きられるのだ。
お店開いたら是非来てもらいたかったけどね。だからこのセミナーの受講生はみんな、彼の意志もおのおの背負って、頑張らないとあかんよ。