これからのカフェの形①。
つい先日、シモキタに行ったらNズデリがクローズしていた。3月いっぱいで閉店したらしい。少し前にワタクシが好きだった、コレもシモキタの○nsaという知る人ぞ知るカフェが閉まってしまった。ココはフロアの半分が中古レコード屋さんで、もう半分がカフェ。個人店だったのでそんなにお金がかかった内装ではなかったけど、店内の空気のゆったり加減が良かった。ワタクシには「もったいない味」という、別格的な扱いをしている食べモノ・飲み物がいくつかあるんだが、ココのマサラチャイはワタクシにとって「よーし、今日はあそこのマサラチャイ飲むぞー♪」という「もったいない」飲みモノだったのだ。しかし貸しに出されていたその物件の家賃を見てみると「、、、なるほど」と思う額であった。
シモキタというのはカフェに限らず新陳代謝が激しいので、しばらく行かなければお店が変わってたりする。コレは「立地」の項であとあと触れてくるのだが、シモキタというのは人がいっぱいいる。でもソレに対してお店もいっぱいあり、あんな小さい街の中で飽和状態というコトがある。そしてお店がいっぱいある、とは言うけど人というのは案外決まった店にしかいかないモノだ。目立つ店と目立たない店が出てくる。不動産屋を覗いてみて、家賃その他が割安(シモキタにしては)ダナ、と感じるトコと言えば、たいてい目立たない場所に物件があったりする。それでも「シモキタだから」とただ単にシモキタのネームバリューや街が好きてだけで飛びつくと後々痛い目にあう。で目立つ場所はもしソコが空いたとしてもベラボーに高いモノだ。そりゃ不動産屋も強気だろう。というよりも、我々の前に姿を現す前に契約が決まっちゃってるのがホトンド。シモキタよりもっと有名なトコロ、人が集まっておしゃれな場所とかはソレがより顕著である。一等地に我々個人はなかなか入りこめないのが現状。
一等地、というのはお店を維持していく体力(この場合は資金力)が保てるかどうかというと、個人ではなかなかキビシイ。ましてやNズデリのような資本力のあるトコロでさえ、採算が取れなくて撤退している。2005年の今現在、力のあるトコロでさえ閉店してるのだ。いろんなハンデがある個人は一等地は望み薄、というコトになる。ではランクを下げて二等地・三等地というコトになる。こーなると資金の面での負担はラクになるし、物件も見つかりやすい。が、人がいないというコトになる。人がいない、というより果たして自分のお店に人が来るのか。有名なトコロよりもフリ客(衝動来店客)が望めない。ソコの不安。ならば逆転の発想で衝動来店は計算にいれない「そのお店に行きたいから行く」という目的来店型のお店にする。衝動来店があればラッキーだ、くらいの考えで。
ここで「絞り込み」という考えが1つ出てくる。例えば自動車。自動車にはいろんなジャンルがある。普通の4ドアセダンなんてのは可もなく不可もなくな万人受け、に対してRV車なんてのはアウトドアが趣味とかそーいった志向の人「向け」。この「○○向け」というのが絞り込みである。こーするコトでアウトドアとかに興味がない人にはアピール力がないが、興味がある人にはアピール力が増す。コレがより顕著になるとよりコアな人へ、というコトになるが、あまり絞り込みすぎると利益があがるか?というコトになるので、その辺はサジ加減が必要になる。ただ飲食でなく例えば物販なら、コアな人向けだとしてもネットで世界各国を相手にすれば(その能力があれば)ひょっとしたらビジネスになるカモしれない。
目的来店、というのは「ソコのお店に行きたい」と思わせるソコのお店ならではの何か、があるから成り立つ。たしかに便利な店、というのもやり方の1つではある。まわりにお店がなく、人が集まる寄り合い所的な場所がない、ないから作れば人に来てもらえるだろう、というのも。ただソレはソレで、そのお店まわりの人だけで、お店が維持できるかどうかというのがある。ムズかしいとなるとお店のまわりに住む人以外から「わざわざ」来店してもらわないといけない。道路沿いのお店なら5、6台は止められる駐車場がいるだろう。1、2台しか止められないなら車で来店する人は不安だし、「わざわざ」行こうにもハドメがかかってしまう。「わざわざ」来てもらうほど、お店に魅力がなければいけない。そのお店ならではの何かがあるか。そんなに駐車場の契約はできない、とするなら自家焙煎やパンを作って、物販を強化してネットで売ったりというコトが考えられる。そっちがお店の売上のメインになって、お店自体は「ネットショップのイートイン」の場としてサブ的な位置付けにすると、たぶんお店の運営の維持は安定していくんだと思う。4月17日に書いた補足も参照のコト。つづく。