過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
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現代は「不便さ」が売れる時代!?①

今日は少しビジネス寄りの話をさせて頂く。
例えば行列のできるラーメン屋、予約の取れないレストラン。並んでまで食べたいモノがソコにある。もしくは何ヶ月待ってもソコに行きたい。こーいったコトを耳にする、目にすると「今は不便なコトが売れるんだなぁ」と思ってしまう。いわゆる限定、とかもそーである。急いで買わなきゃー、みたいな。購入するのに何かしらハードルが加わる。このハードルが逆に購買意欲を駆り立てる。人間のもともと持ってる狩猟本能、なのカモしれない。ソコを刺激されるのだ。
かたやヒマで繁盛してない店というのが陥りやすい点として、店先で呼びこみをしたり、ビラを配ったりというコトである。アレは「ウチはヒマですよ〜」と言ってるようなモノだ。呼びこみも中途ハンパならやる意味がないし、あまり本気度200%でも人は引いてしまう。関わりたくない。ビラも開店を知らせるというのなら分かるが、アレは「希望的」なモノだし、だいたい目も通さずに捨てられるのがオチだ。
ファミレスには全部見るのがヤになるぐらいなんだかワカラン、ウゾームゾーのメニューがやたらと書いてある。アレは前世紀、バブルがはじける前の時代までの売り方だと思う。ようは「便利さ」が得で、価値があった時代だ。しかし今は物はあふれかえって飽和状態。そーいったただヅラヅラとメニューを並べてるだけでは、どこもやってる、やりつくした「当たり前」のコトであり、全く独自性が無いワケである。シモキタを歩いてたら、靴屋の2Fにカフェが新しくオープンしていた。2Fなので当然外からは店の様子は見えない。なので1Fに例のヅラヅラ書かれたメニューボードが突き出してあるワケだが、50品ぐらい書かれても、通りがかりでソレらを全部見る人はいない。全部見ない、なら全部書く必要が無いワケで、逆に「あー、ココはウリのメニューがないんだ」と思ってしまう。実際にないんだろう。ないからこーいったヅラヅラメニューを書かざるをえないんだと思う。あるのなら「当店の一押し!」で済むし、ソレを見た人が気になってお店に入ってみたい、となった方がよっぽど効果がある。結局「ヅラヅラ」だと記憶に残らないし、ここも「その他おおぜい」的な、いわゆるできてはツブレ、できてはツブレのシモキタ的なカフェにすぎない、と思われるのがオチである。何のためにやるのか?他の店がやってるコトを、ブナンな線でマネても意味が無い。たぶんプロが製作したモノなんだろうけど、プロというのはややもすると、「カフェならこーいうモノ」という枠にハメてブナンな、ドコもやってそうなモノをこしらえがちだ。こーいうのは逆に素人がインパクト勝負でやった方がいい、と思う。
大手を広げてお待ちかね!という状態の店に、そもそも人は入りづらい。目立ちたくない、あまり干渉されたくない、様々である。服を見てる時にヒマな店員がやたらと擦り寄ってくるが、あんな感じでかえって逆効果である。だったら人ごみにまぎれてあまり目立たずに、ほっといてくれた方がよっぽどいい。だからだだっ広い店内でガラすきより、少々小さくても混んでる店の方が、お店に入る人は気が楽だし、外を歩く人も入ってみたくなる。
前時代は便利を追求していた。便利が美徳とでもいうか。ただ企業がやる「便利」というのは、極端に言えば「広く浅く」で、ホントのかゆいところまではなかなか行き届かない。「不便」が売れる、としたが売り手側は逆にもっと便利を追求した形、ソレは企業ではなくもっと細かい詳しいコトを知り尽くした個人が、より専門的で有効な「便利」を売っている。だから個人のネットショップなどが盛んなワケである。個人も数の勝負では企業の絶大なパワーに勝てないが、1つを専門的に「せまいけど深く」追求して勝負ができ、そーいったトコロに人は価値を見出してくれる。また価値を見出してくれる世の中になった、というのが前時代にはあまりなかったコトだろう。市場が「ニッチ」になってるのであり、コレがワタクシがよく言う「細分化」である。一億総マニアック、なのだ。
昔は隠れ家的な店、というのはホントに隠れてたモノだが、今は情報が飛び交ってるためそんな店でもすぐあばかれる(この表現がもっとも適切だと思う。)だから「自分だけが知ってる」という状態は長くは続かない。そーいう優越感を持ちたい人にはやや寂しい時代カモしれないが、お店としてはそのコトによって、お店が続けやすくはなっていると思う。最近ワタクシが雑誌なんかを見てて思うのが「腕に実力を持ってる人は、閑静な住宅街や郊外にお店を開いている」というコトである。もちろん繁華街や都市部にもそーいった店はあるけど、腕に自信があれば、どこでもお客さんが来てくれるだろう、という自信があるのカモしれない。で実際にそーいった店には、口コミで遠方から車飛ばして来店してくる人もいる。ただ飛び交ってる情報時代のデメリットとして店が自分の理想の方向とズレる、というのはあるカモしれない。もちろん良い面悪い面はあるだろうけど、ソコのバランスは取っていかないといけないのだろう。