過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

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 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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しあわせジャンキー?

昨日考えてたコトがあって、ほぼ日の『今日のダーリン』を読んでつい反応してしまったんだけど、「幸せは『目的』じゃない」ていうね、ソレはまさにそうだと思うよ。
「必ず○○を幸せにします!」とか「幸せになりたい」とか常套句としてはあるけど、幸せてそもそも主観的なモノであって、他人がどうこうてより本人がどう思うか感じるかだからね。解釈のしかたとか受け取り方とか感じ方の問題で、今も「幸せだなぁ〜」と思えば幸せなんだよ、とりあえず。
まぁプロポーズの「○○さんを幸せに」は、その「幸せ」て言葉にいろんな意味が含められてるんだろうね。「生活の心配をせずに、家族全員ソレなりに健やかに日々過ごせて、何か良からぬコトがあっても、みんなで支えあって云々、、」とかそういう意味全部が「幸せ」て言葉に集約されてるんだと思うよ。ま、便利ちゃ便利な言葉なのカモしれない。こんな長く話されても彼女のお父さまに「手短かにせんか」と言われそうだから、「幸せにします」と、言うワケだ。ソレですべてが通じると。
あと昨日考えてたのは、幸せて「過去のコト」とか「今現在」について思ったり感じたりするコトであってね。未来に関しては「幸せに『なりたい』」とは思うけど、現在はまだ幸せと思ってないワケだよね。あとからじわじわくるモノじゃん、幸せていうのは。
結局幸せて「平穏」てコトなんじゃないのかねぇ、と思うんだけど。「何でもない」てのがね。平和ボケとかよく言うけどさ、ソレて昔の人たちがそういう世の中を作りたかったから、今とりあえずそうなってるとも言えるし、必ずしも悪いコトではないと思うんだよね。戦時中より少なくとも状況的には幸せと言えるでしょう。
昔の人の思いが今現実化してるてコトだよね。この世では思いを現実化させるには「行動」がともなう、てコトなんだよ。で、今とりあえず平穏で何でもない日々を過ごせてるとしたら、ソレはリラックスしてる状態なワケで、つまり思いを現実化させるにはリラックスしてる状態じゃないと、というコトらしいんだ。
で、昨日の話に戻るけど、「ワクワク」て言葉あるじゃない?ワタクシもたまにココに書いたりする。アレはバシャールの本に合い言葉的に出てくる言葉なんだけども、実際はアレ、「ワクワク」とは言ってないだろね、ていう。日本語だし(笑)。で、元のチャネラーの言葉でいうと「excitement」=(興奮)なんだって。で日本語に翻訳した人が「ワクワク」と訳したと。まーワタクシはソレすらも違うんじゃねぇかと思うんだけど(笑)。「excitement」ですら翻訳だからね。おおもとのバシャールはおそらく言葉ではチャネラーの人に伝えてないでしょう。でもチャネラーの頭というフィルターがあるワケだから、チャネラーが日常的に英語を使う人だからアウトプットが英語になるワケで。ま、ソレはさておき「興奮」と「ワクワク」じゃ、ちょっと意味が違うてコトなんだけど、興奮てのは快と不快、両方あるワケだ。
人間てのは快(アクセル)と不快(ブレーキ)を両方踏みながら生きてるらしいんだな。たしかにそうだなと思う。何かやるにしてもすぐにほいほいとはできない。かならずブレーキはかかるよね。ソレを毎日繰り返してる。依存症とか中毒とかは快をひたすら追求してるワケで、その依存してるモノやコトに何らかの毒性とか身体を支障をきたすコトが含まれるとしたら身を亡ばすし、たとえばアルコールとかニコチンとか、切れれば不快になるワケだ。ようするに快を求めれば必ず不快がついて回る。快と不快は表裏一体の関係と言える。だからよく宗教とか教えでは「欲を手放しなさい」とか「執着しない」とか言うんだって。煩悩を捨てるとか。欲がなければ、ようは快を求めなければ、不快も無いと。無欲でリラックス。究極のリラックスてのは、ようは「死んでる」てコトだよね。
でも生きてる、てのはやっぱり追い求めるんだよな。人間だから。だから何もしてない状態を「死んでるように生きてる」みたいに言うけど、恋をして失恋してとかさ、ソコにドラマがあるし、そういうコトの積み重ねが「人生」というモノだったりするじゃない。そういう思い出がのちのち「幸せだったなぁ、、」と思うワケでさ。
まぁ人間てのは、ある種の興奮状態で、依存症で中毒なんだろうな。なかなか手放せるモンじゃないよねー。