狂言。
なるほどなぁー。たまたま今『ありがとッ』(TVKの昼番組です)のゲストの太鼓奏者の方が、太鼓はトーラス形状で宇宙を表していて、太鼓の音は宇宙のエネルギーなんだというようなコトをおっしゃってらして。鼓動というのはエネルギーなのだ。そういうふうに表現してる。鼓動=生命力だというワタクシの見立ては合ってるというコトになる。
あと叩き方も、太鼓を左の小脇に抱えて右手は刀を抜くように(抜刀)して、場を清める意味合いもあるらしい。
太鼓から発する宇宙のエネルギーを、操り人形(演者)に送って生命力を与えている、というコトなんだと思う。
先日の能も同じように、伝統芸能というのは宇宙のエネルギーとか、宇宙に限らなくても何か説明のつかない力というモノがこの世には存在していて、その力が我々を動かしている、我々に作用している、というのをストーリー仕立てにして表現してるのかなー、と。
現在のワタクシたちは天気の予想技術や科学、医療なんかも発達してるから昔よりいろんなコトが分かってる。でも昔の人は現在の人が当たり前に知ってるコトも知らないワケで、そういう分からないモノ知らないモノ説明のつかないモノにたいして怖れとか畏怖というモノを持ってただろう。ソレは逆にいえば、そういう自然の力やエネルギーをより身近に感じてたのだと思う。だから魂を鎮める儀式とか各地のお地蔵さんとか、そういうのがいっぱいあるんじゃないのかな。そういうモノと共に暮らすという意識が強かった、そういう意識をみんなが共有してたんだと思う。現代よりもっと生活に密着した形で。
能や狂言というのは、そもそもなぜ私たちは生きているのか、生まれてくるのか、という問いがおおもとのテーマとしてあるのカモしれない。
ワタクシの場合は、こういうトコロから導入してくると、能や狂言などの伝統芸能にも興味を持つコトができるのだな。ソレも発見。
生き物は体に太鼓を持ってるのだよ。