息抜き。
そうだよなぁー、たとえば学校にも、もっとおばあちゃんとかおじいちゃんとか、そういう人がいればいいんだよな。用務員のおじさんとかカウンセラーとか「1人」ていう単位じゃなくてね、もう団体さんでどっとさ。
もしかしたら問題は生じるのカモしれないけど、老人ホーム(グループホーム)+幼稚園(保育園)、小学校(このへんは実際に存在するのかな?)中学校、高校ていう組み合わせの施設が。
なんか学校て「学校は学校」て感じで世間と隔たりがある気がするんだよ。隔離されてるというか。コレからは高齢化も進むコトだし、もっと学生と交流があってもいいと思うんだよね。老人ホームも隔離されてるよな。
社会にもっと食い込むという意味もあるし、学生にとってもじいちゃんばあちゃんと交流があるというのはメリットがあると思うし、人を労わるとかそういう心が育まれるんじゃないのかな。そっちの教育もできる気がするね。
学生だけだと、自分らの年代のせまい付き合いだけで、ソレがまるで世の中のスタンダードであるかのように錯覚しちゃうでしょ。近くにお年寄りが生活してて交流するコトで、世代によっていろんな考えがあるんだなーと学べるんじゃないかな。実際、ワタクシも起業セミナーに通ってた時、さまざまな年代の人がいたから面白かったモンね。自分とちがう世代の人の話を聞いたりするのも、ソレが直接役に立つとかじゃなくても、面白いモンだよ。
じいちゃんばあちゃんにとっても、若い子がいるだけで元気になれるだろうし、なにかと安心感があると思うんだよな。たとえば災害があったとしても力になるでしょ。そういう緊急時は介護の人だけじゃ人手が足りなくなるカモしれないし。若い子の方が肉体労働もできるだろうし、頼られたりすると若い子も悪い気しないんじゃないかと思うけど。そういう精神の部分で学びがあると、先生方も精神的負担がぐっとラクになるんじゃないかな。
先生と生徒の二者の関係だけだと、お互いが見つめ合っちゃって息が詰まるんだよ。ホントはお互い見つめ合うんじゃなくて、同じ方向を見るべきなのに。「社会」とか「将来」とかさ。だから学校とはあまり関係の無い第三者、できれば社会の先輩とか、先生以外のそういう立場の人(たち)が必要なんだと思うよ。
コレ、家族にも言えるコトだと思うな。現在はとくに核家族化がすすんでるだろうから、やっぱりじいちゃんばあちゃんていう存在が家庭にいた方がいいんだろうね。親にとっても「親の先輩」になるし、子供にとってもいろんな教育になる。緩衝材的な役割があるんだよな。いないと親と子で見つめ合っちゃうからね。見つめあっちゃうから、ヘタするとモンスター化するワケだよ。ホントは子供が自立するための「社会」とか「将来」とかを見なきゃいけないのに。いつまでも親が守るから、子供が自立できない。親もソレが愛情だと考え違いしちゃう。
だから昨日のつづきに戻るんだけど、いわゆる「サードプレイス」、第3の場所ていうのが人には必要なんだよね。ソレが場所だけじゃなくて人であっても。息が抜ける場所、であり人。