某国のコピー問題について。
某大国のコピーが問題になってるが、ガクっとくる点が2点ある。
1つは、某大国の人の「日本は漢字を盗んだから」という言い訳。
たしかに漢字は某大国の人の先人の方々が発明した、某大国オリジナルのモノだろう。しかし、じゃあその先人の方たちが今の某大国の人の現状を見たらどう思うのだろうか?「情けない、、」と嘆かないだろうか?そして自分たちの思想とは矛盾しないのだろうか?
某大国の思想の「自分たちを中心に世界は回ってる」に則るとするならば「まわりの下々の国のモノをマネるなど言語道断!そんな下等な民族の使ってるモノなど!」という具合にならないのだろうか?民族の誇りは?
もう1つは、あまりにあんまりな(笑)劣化コピーだというコト。
たしかにかつて日本もアメリカのモノをコピーし「コピーキャット」などと揶揄された。だから「コピーする」まではいいんじゃないかと思う。かつての日本はアメリカの文化に憧れ、アメリカのモノを羨望のマナザシで見てたワケで、ソコには少なからずリスペクトがあった。ただコピーするだけでなく「より良く!」「もっと使いやすく!」などアメリカのモノより良いモノを作ろうとした。質を高めるコトで技術力と競争力を高めようとしたワケだけど、某大国のコピー品はおしなべて見た目だけの劣化コピー、ハリボテ的コピーだ。
韓国も初めは日本の自動車のマネから始まったけど、現在はヒュンダイのように米市場でトヨタを抜いたり、サムスンなど技術力、質感ともに日本と互角またはソレ以上のモノを作る力をつけた。ソレなら同じコピーでも「人類の技術革新」に貢献するモノとして受け容れるコトもできる。「守・破・離」という言葉もあるのだから。初めはマネでも、やがてアレンジしながらそのうち段々にオリジナルを生み出せればいい。ソレでお互い切磋琢磨していければいいのだ。
しかし某大国のソレは「日本のアレが我が国にも欲しい」という、なんとなくソレらしいモノが手に入れば良い、気が済む、その程度のモノにしか見えないのだ。自国中心的な思想により他国の文化をリスペクトしてないから、できあがるモノがその程度なのだ。
おそらく某大国のコピーする人からすれば「見ろ!こんなモノは我が国民の技術力を持ってすればなんてコトは無い、オチャノコサイサイダ!」ぐらいの力の誇示なんだろうけど、某大国以外の国からすれば「あの国はあんなモノしか作れない」という「技術力&コピー能力の低さの露呈」につながると思う。よって全く逆効果なのである。
思うに某大国はオリジナルを生み出せる能力はあるけど、コピーする能力は無いんだろーな。たぶん大陸と島国の違いてのがあるんだろうね。