あなたの痛みが少しでもラクになりますように。
絶望に打ちひしがれた人、ココロに傷を負った人には、今現在同じような心境にある人か、かつて似たような境遇にあった人でしか、そういった人たちに寄り添うコトはできないと思う。そういった人たちと比べて、いわゆる普通の生活・心境・境遇にいる人が「がんばろう」と言ったトコロで、その言葉はどうしても「上から目線」の言葉になってしまう。そういった人たちからすれば「人の気も知らないで、何言ってやがんでぇ」だ。思いとは別に、ソバに寄り添うドコロかより離れてしまう。「ヒトゴト」な言葉になってしまうのだ。そういう時はソっとしておくしかない。
「がんばれ」といっても、何をがんばればいいか分からずにいる人もいるだろうし、自分では分かってても、どうにもココロにぽっかり空いた穴を埋めるコトができずにいる人だっているだろう。ソレは時間が埋めてくれるのを待つしか手立てがない。時の流れが、あなたの痛みをいくらかでもラクにしてくれるように祈るコト。ソレしかできない。
そうして、しばらくしてようやく「がんばってみるか、、」という気持ちが芽生えてきた時、背中の一押しが必要になった時、その時がやっと音楽や娯楽の出番であり、エールが必要になってくるのだと思う。