過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

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 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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学校の勉強ができる=頭が良い?

掃除をしてたらフトこんなコトを思いついた。なんでこんなコトを、、というどーでもいいコトなんだけど。
小学生の決まり文句で「なんで勉強しなきゃならないの?」というのがある。まーアレは本気で疑問に思ってるのではなく、ようは勉強したくない言い訳に過ぎないんだけど、でもあえてコレにまともに答えてあげようとするなら「パターン認識能力の開発であり向上のため」だ。まーコレじゃ小学生はチンプンカンプンだろう(笑)。
「なんで?」の次に来るのはおそらく「こんなの勉強しても将来役に立つの?」だろう。答えてしんぜよう。「役に立たない」。以上。「じゃー勉強してもしょうがないじゃん」。いや、ソレとコレとは別なのだ。
分数とか大人になって使ってる人てドレだけいるのだろうか?通分とかもう忘れちゃったよワタクシは(笑)。まぁたしかに学校で習ったコトがそのまんま役に立ってる人、そういう職業に就いてる人もいるだろう。けどワタクシのような「分数なんて使わない派」が多数だろう。でも「学校での勉強」てそういうコトではない。直接役に立つコトを学ぶワケではない。学校で習うコトは将来的に直接役立つコトはホトンドない。がしかし「勉強の仕方を習得する」。コレが重要なのである。
算数を例に取り上げると分かりやすいんだけど、文章題とかあるでしょう。ワタクシは苦手だったけど(笑)。アレなんかは数解いてるうちに「はは〜んコレはあのやり方だな」とかなんとなく見当が付いてくる。そういう感覚て経験したコトある人もいるでしょう。で「あのやり方」を用いると解けると。この「はは〜ん」がズバリ的中すると楽しい。ソコに算数の問題を解く楽しさがある。この感覚が分かると算数が面白くなってくる。
この「はは〜んあのやり方」と見つけるコト=「パターン認識」だ。まずは基本の問題をいくつも繰り返し解いて「解き方」を身につける。そして応用問題である文章題などに「コレかな?」という解き方を当てはめる。問題を数を解けば解くほど、「この解き方を用いれば解けるだろ?」「コレはあのパターンだろ?」てピンとくる速度が速くなる。コレがパフォーマンスの向上、パターン認識能力の向上だ。平たく言えば「頭の回転が速」くなる。この能力を開発し向上させるコトに、学校の勉強をする意味がある。だから学ぶコトそのモノには意味がない(全く無いワケでもないけど)。その能力は大学入試なんかでも役立つ。
あと段取り力みたいなモノがつくと思う。コレをやってアレをやってからコレをやる、、みたいな順序だてて要領よくやる、というのが身につくと。コレは「勉強の仕方」てやつだね。
例えば大人になってから資格の勉強、そうだな、クルマの免許を取ろうとする時に学科の勉強をしようとすると、「自分がこうやると覚えやすい勉強の仕方」てのが誰にもあるでしょ?私は集中的にやる方がいい、オレは集中力ないから合間合間でヒマを見てやる方がいい、とか。そういう自分に合った勉強の仕方を見つけられるワケだな、勉強をしてると。そういうのは将来的にも役立つワケだよ。
で、こういうのは子供のうち、若いうちの方が身につき易い。頭で分かってなくてもカラダで分かるて感じ。子供はカラダで覚えるからな。ワタクシにもしそういう年頃の子供がいたら、そんなようなコトを分かり易く簡潔に言うだろうな。
でもワタクシは思うんだけど「学校の勉強ができる=頭が良い」ではないよな。言うなれば「要領がいい、頭の回転が速い」てコトだよソレは。そういう子はいるよな。いわゆる「頭良さそう」て子は。頭が器用なんだよ。でもソレがホントの学力なの?とは思うけどね。
さっきの文章題で言うなら「文章題をスラスラ解く」子よりその「文章題をつくれる」子の方が頭が優れてると思うな。ホントの頭の良さてそういうコトなんじゃないの?と。でも日本の学校てのは「文章題をスラスラ解く」能力の開発・向上をさせる勉強ばかりなような気がしないでもない。文章題をつくれる能力は育まない気が。
与えられた問題をスラスラ解くというコトについての評価は高いけど。そういう数値化しやすいモノは評価しやすい。けど何かを作り上げる・クリエイトするような能力についてはあまり評価する傾向に無いと思う。すぐに答えが出ないからカモしれない。問題を「スラスラ解く」子を頭が良いと、良しとする風潮にあるような。「日本の学校」てそういうトコロなんだよな。偏ってるんだよ。頭の回転が遅くても何かを創造したりする能力が高い子もたくさんいるだろうに、そういう子はなかなか能力を発揮できる機会が無いし、評価もされにくい=学校の成績が良くない子、になってしまう可能性がある。
ただ今、この国で求められてる人て基本的にはどこでも頭の回転の速い人だけどな。お笑いとかそうじゃん。サラリーマンもそうだろうし。空気が読めて従順で。与えられた仕事をテキパキとやる。器用だね。ただ与えられた仕事は器用にこなすけど、仕事を自ら作れるのかい?というね。
まー学校は偏ってるというコトを前提にして、全てを学校に委ねるのではなく足りないモノは親が教えたり別なトコロで学べばいいんだけど。だから学校の延長のような塾に行ってもねぇー、、どーなの?て感じ。ソコだけをどんどん補強してってもねー、ていう。もっと学校じゃ学べないコト・足りないコトを学べる、そういう塾ならいいとは思うけどね。
親が子供に「なんで?」と聞かれて一番簡単な答え方。
「おかーちゃん、なんで勉強しなきゃいけないのぉー?」と子供に聞かれたら、「ソレはね、、」と言いながら子供の顔のほっぺたあたりを両手でギュゥゥとはさんで、「勉強すれば分・か・るっ!はよ学校行き!」。「はぁ〜い」としぶしぶ学校に行く子供。コレは「生きてて何の意味があるの?」「生きる意味て何?」も同様(笑)。