『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観た。
このZよろしくTV→映画にまとめるてやり方は展開が早いから、本編を見たコトがあるとかある程度話を知ってるとかそういう情報の下地が無いとツラいトコロはあるカモ、とは思うけどワタクシは毎週出てた(毎週だっけ?毎週じゃないか。)エヴァのなんだ、なんかテキストブックみたいなの出てたじゃん?アレ見てたしね。興味はあったからさ。だから話の筋はあらかた分かってたので、まぁなんとか映画は観れたけど。でもTVの長いのを圧縮してるワケだから、より要点がクッキリハッキリしてくるというのは利点だね。そういう意味では映画化というのはいいなと思う。ただ本編をじっくり観てた人にとっては「アレもコレも端折りやがって!」と思うカモしれないけど。
でまぁ、『めがね』とは対極だよな(笑)。ホントに。いろいろ頭使う。TVはタイトルに「新世紀」て付いてたじゃん。アレは20世紀→21世紀に変わるというのもあるだろし、ストーリーのラストでシンジ君は究極の選択をしなきゃならなくなるんでしょ?命運をまかされると。でシンジ君が選んで、ソコからまた新たな歴史の始まり=新世紀、というね。そういう意味はあるんだろうな、とは思ったけど。でも今回はまぁ21世紀になってるし、タイトルから「新世紀」というのもハズれてどうなるんだろうな、という。
エヴァという人造人間はアレはやっぱ「母親」なんだろね。あんだけ残虐な容姿だけど。EVAてようは「イヴ」でしょ?アダムとイヴでさ。人類はこの2人から始まると。そうするとエヴァのLCLていうんだっけ?アレは「羊水」だしなぁーとかね。暴走も結局は母親がシンジ君を守る行為だと思うんだよな。そう定義すると合点がいくような気がする。
レイはシンジ君の母親の生き写しなのかなぁーとか。クローンか。いっぱいいるんだよね。ゲンドウが実の息子よりレイに優しいのもそういうコトなら分かるし、だからエヴァを作ったとかさ、分かる。クローンてよりロボット的だよな。「どういう顔したらいいのか分からない」ていうセリフがね。どういう反応したらいいのかインプットされてないワケだから。でシンジ君にとってはレイは「鏡」とも言える。だからああやって感情移入してくんだよな。
シンジ君は結局は利用されてるんだろね。14才ていう微妙な心理状態をゲンドウが巧みに利用してる。たぶん全て知ってるんだよな、ゲンドウさんは。もしくは「最後の審判」までは分かっている。何かセカンドインパクトの時とかに「契約」したんだと思う。「じゃぁお前の実の息子が14になった時、こういう試練を与えるからソレを乗り越えたら、どちらか選ばせてやる」とか何とか何者かと取り決めがあったと。そう思うな。
使徒との戦いはある意味関係無い。どうでもいい。シンジ君がその戦いという試練を乗り越えて人間的に成長して、ソコからなんだよな。最後の選択が下せるようになるまでの試練なんだよ。だからシンジ君はその時までは死なないんだよ。選ばれてるから。死にたくても死ねないんだと思う。
カヲル君もラストにちょこっと出てくるんだけどさ、あのコも結局は試練の1つで「お前のそばにいる数少ない理解者=友達がこうなったらお前はどうする?」ていう。そういうかなりキビしめの試練というか問いを越えた先に、お前は他者とどうしたい?この世界をどうしたい?てのが出てくるんだよな。
TVだとシンジ君はなんか、みんなに祝福されてなんかハッピーエンドみたいな、ベタな絵で終わるの?よく分からないけどなんかそういう映像あるんだよね。でもアレも気持ち悪いというかね、違うんでしょう。人類補完計画てのも「他者と1つになる」てコトで、ソレはやっぱり違うと思ったんでしょう。
想いを1つにとか同じにとかあるけど、でも人のココロはすれ違いで。じゃぁ1つになりたいか、1つの集合体になりたいかと言ったらソレも違うような、、と思うワケで、結局は「想ってる」のがいいんだよね。時々でも一瞬でもいいから「ああ、あの人と分かり合えた!」とか、ソレがたとえ思いこみであったとしても思えるのがいいワケで。その一見儚くて脆い関係性があるだけで生きてく希望があるというか持てる。
アスカちゃんというシンジ君と間逆なキャラが次回作に出るんだろうけど、はじめは2人とも相容れないみたいだけど、じょじょに互いを理解してくんでしょう。だから最後あの2人が残るてのは、とても意味があるコトなんだよな。人て他者がいないと生きていけないんだよ。たぶんあのラストの後、ぶつかり合いながらもお互い認め合って2人生きてくんだろうね。アダムとイヴのように。