SYNCHRONIZED☆SINGING vol.3 ①
昨夜は下北沢440にていずみさんのライブ。440でライブを観る前に、『棚の隅』を観たりお茶したりビデオ観たりしたけど、今回は時間軸を追わずにいきなりライブのコトをば。
今回のライブは、もともとはゲストに大江千里さん(いずみさんと大学が同じで、いずみさんが「大先輩」と称する)をお招きというコトだったのだけど、今回は残念ながらキャンセルという形になり、その代わりと言っちゃなんなんだけど、かつての盟友であり、現センチメンタルシティロマンスの中野督夫さんがゲスト!コレハスゴイコト二ナリマスヨ!と言わんばかりのライブになりそな予感ありありだったワケで、実際なかなかタイムトラベラーなライブになりやした。シンシン(勝手に略)は二部構成となってて、第一部終了後休憩をはさんで第二部から中野督夫さんのご登場!
中野さんは、いずみさんがデビューしたての頃から、いずみさんが全国区に名を馳せるようになる時代の「いずみバンド」のリーダー的な存在だったようにお見受けする。ワタクシは当時いずみさんのコトは知らなかったので、当時のコトは1994年の渋谷公会堂や日比谷野音のライブが収録されてるライブビデオ『灰とダイアモンド』を観てでしか知るトコロがないワケだけど、ゲストが中野さんというコトで、あの頃の熱を呼び覚ます意味で『灰とダイアモンド』を予習がてら、もう何年ぶりだか分からないけど観賞。
今まではあのビデオというのはあんまり観れなかった。まぁアレだけじゃなく『真空パック症』もだけどさ。こう、気分的にね。もうすぐ終わるて時になると、ぐわぁぁ〜と胸をしめつけるような切なさみたいなのが急にこみあげてきて、ソレに耐えられないのね。その感じを味わうのがイヤで。
ビデオ観なおして思ったけど、やっぱ喜怒哀楽感情あふれる姿、生命力を放出してる人の姿を観るというのはいいモンですよ。いずみさんのそういうトコロに魅かれたんだなと改めて思うけど、ビデオだけどね、「ビデオが終わる」てコトは「お別れ」てコトで切なくなるモンなのよ。
あとビデオテープだから何度も観ると画質劣化するでしょ?ソレがあってホント数えるほどしか観てないんだけど、もう充分年取ったからね。今回はどうだろう、、と観てみたけどもう「ぐわぁぁ」てのはなかったね。なんか逆に「中野さん、大変だったんだなぁ〜」と、中野さん目線になっちまう(笑)。あの頃の中野さんと年が近づいてきたからかね。取りまとめるの、大変ねぇ〜ていう。そういう気苦労が分かる年になったなぁ〜(笑)。
あえていずみちゃんと「ちゃん」で呼ぶけど、あの頃のいずみちゃんは、あのビデオでも分かるよに大観衆ですよ。何千人とかいうケタなのカナ?そういう人の圧力みたいなモノに、フロントに立って真正面で対峙しなければならない。そりゃ大股になるよな、ていう。毎回毎回ガチンコ勝負ですよ。フンバってないと押しつぶされちゃいそうな。で、中野さん並びに達者な人たちがまわりにいて、そういう人たちに負けまいと、もしくは足引っ張らないようにしなきゃみたいな。いずみちゃん自身ちょっと背伸びしてたのカモしれないね、なんて今は思うね。
だからタフ以降の、レールから外れて別の道をコレから歩もうと、その頃から、いやソレ以前からずっと、たぶん今やってるような音楽をずっとやりたかったんじゃないかなぁ、なんて思う。たぶん今現在いずみさんが居る地点に、おぼろげながら今の世界を想像してて、ソコへ行きたいと望んでたと思うね。
「今ここじゃない!」と歌ってた人が「今ここ」と歌ってるのは、コレは180度変わった、というより人が生まれ変わった、と言っても過言ではないね。今ここじゃない!と歌ってたてコトは「今ここ」をずっと熱望してたと思う。ソレはたいていの人が持ってる気持ちでもあるから、その気持ちを持ってる人がいずみちゃんの歌に共鳴したという。憤りと懇願に近い熱望を歌ってた人が、その時代を抜けて、今はその深遠の淵に佇む人たちに対して、かつて同じ気持ちを持った者として、ソコからの「突破者」として、外から励ましてるという、今のいずみさんはそんな感じがする。つづく
♪やった曲ぅ〜。but順番とか自信なし!曲もれもあるカモしんない!♪
第1部:街を歩こう、足跡、3040、サクラチル、ホクロ、オレンジ、つまらない世界
〜休憩〜:休憩中にPV「Family Tree」上映(榊 英雄監督作品)
第2部:My Little Jearous、ゲスト中野御大登場!君なら大丈夫だよ、
祈りのレシピ、ジェットコースターの夢(3曲中野御大ともにギター)、
Tough、Family Tree
アンコール1:大きくなりたい、平成(2曲中野御大とともにギター)
アンコール2:サルの歌