雑誌のナナメ読み。〜第一回のつづき〜
ワタクシはかねがねプロレスと音楽業界と、あと何々党とかの政治界は良く似てるなー、と思ってる。組織の枠組みというか。
まず「インディーズ」というカテゴリーがあって、コレというのは音楽業界が先かなと思いきや、過去を辿ると実はプロレスもインディー(プロレスの場合は「ズ」を取って言うコトが多い)団体の存在は古くからあったりする。力道山時代から猪木・馬場に分かれて、も1つ国際プロレス(ラッシャー木村を知ってるかい?)とか出てくる。あと長州選手のいた、、何だっけ?忘れちゃったけど(失礼)とか、もっと有名になってくるとかの前田日明選手のUWFになってきて。で第2次というか、インディーという言葉をアンチメジャーの志を表す言葉として掲げる、大仁田厚選手率いるFMWがブレイクする。
そしてプロレス業界というのは他団体時代に突入して、一般の人からすれば何が何だか分からなくなってくのだが、政治の世界というのもこのプロレス細分化から何年後かに細分化を起こす。「さきがけ」とかね、あったでしょ。あの辺の時代。あの様子を眺めてて、あープロレスと同じだなと思い、プロレスの方が先んじてるな、とも思ったし、その思いを深めた。結局組織というのは人の集まりだから、業界関係なく似てくるのかなぁーと。
であまりに細分化されたため、今度は吸収合併が行われるんですね。ある程度キャラの似たところとかお互いを認め合うとか、あとはウラの力とかもあるのカモしれないけど。ソレとプロレスで言えば「やっていけない」団体が出てくるワケでそういう団体は消滅してしまう。まー淘汰ですね。そんな群雄割拠とした中でキャラ(立ち位置)を確率した団体は細々と今でも活動を続けてるし。
ただ団体という枠組みは存続してても、所属してる人間というのはコレ、流動的なワケですよ。もちろん引き抜きもあるしその逆の解雇もあるし。この辺はアメリカの団体は如実。アメリカに限らず外国でも同じような状況。
で今はもっと細分化の方向で1人団体=フリー選手の活躍が目立っている。団体に所属しない理由は様々あると思うのでソコは割愛するけど、このフリーという立場はまず「会社の保証」というモノがない。当たり前だけど。でもプロレスラーというのはケガがツキモノでコレの保証がなく自分もち、ていうのがいろんな意味で負担はでかいと思うんだけど、ソレでもフリーを選ぶ選手がいると。ソレだけ団体・会社に不信感があると言えなくもないし、活動的にもコレだけ団体がひしめくと派閥じゃないけど、アソコとココは絶縁関係で交流しないのよ、とかが出てくる。コレは選手にとっては関係ないコトで、そういうコトも団体に所属してるがために押しつけられる。そういうしがらみ関係なく、もっといろんなプロレスラーと試合したい、と思えばコレはフリーになるしかない。だから力がある選手(観客動員など)はフリーになっても引っ張りだこだ。
そういうフリーの選手が主催する興行というのが目立ってきている。コレは「団体」ではなく、あくまでそのフリーの選手の声かけによるモノだと思うんだけども、まず単発で興行をし、反応がよければ次回・次次回とつながりいつしか定期的・恒例となっていく。経営の収支とかどうかは分からないけど、今はこういう「イベントを育てる」という発想になってきている、プロレスの世界も。
そこで音楽のワンアーティストワンレーベルに戻るんだけど、音楽業界もこういう発想を取り入れた形もいいんじゃないかと、思ったワケでありますよ。今は「小泉劇場」とか言って国民に分かりやすくアジって、その分かりやすさという罠にひっかかってるワケだけど、明らかに政治の世界もエンターテイメント化してきてるワケでね。プロレス化してきてるよね、マイクアピールみたいな。アレも元は大仁田選手の「大仁田劇場」が元でね。まぁそんなコトはいいんだけど、そういう面で捕えると、全く違う分野でも参考になるのでは、と思うんだけどどーでしょー。