☆TORINO OLYMPIC 2006 FINAL☆
冬のスポーツの祭典が幕を閉じた。日本勢のメダルは金が1ヶという結果。しかしワタクシが今回見てまず思ったのは、今回がスタートなんじゃないか、仕切り直しなんじゃないか、というコト。やっぱりオリンピックには魔物〜の例えで、初出場の選手はその魔物の存在を今回初めて知ったのではないだろうか。今回経験したコトをソレゾレ持ちよって。だから4年後のバンクーバーがホントの勝負で、花開くんだと思うな。あと競技によっては競う相手もいたりするけど、あくまで自分との戦いだからな。過去の自分をいかに乗り越えていくか。
そして、人の想いと身体というのを結びつけるのはコレほど困難なコトなのか!というコト。別に一元論、二元論とかデカルトの話を持ち出さなくても、イメージができるコトと実際にソレができるコトには天地の差がある。思考から経験によるフィードバック・フィードフォワード。思い考えやってみては修整の繰り返し。イメージしたコト・考えたコトをやってみて、簡単にできるのならこんなオリンピックなんてのは成り立たないワケで、その遊離してる思考と動作をいかに近づけ結び付けるか。コレに選手たちは切磋琢磨してるワケで。
だから世の中なんて簡単には自分の想い通りにはならない。自分の1つのちっさいのーみそで全世界・森羅万象を把握できるはずがない。自分のこだわりや価値観なんていとも簡単に崩れてしまう。60億という人の思惑が交錯してるワケだし、まずなにより自分自身のコトさえ思いのままにならないのに。ただソレを嘆くのではなく、だからこそ世界は面白い可能性に満ちているのである。
自分、という存在が60億分の1ながら確実に他者に何かしら影響を及ぼしているコト。良い影響か悪い影響かは分からないが。今見てる世界というのは、しっかり輪郭を持ってあたかも境界線があるように思えるが、実際は原子・分子が連続している。このパソコンと指の間に原子分子が0(ゼロ)なんてコトはない。波紋。水面に落ちた雫はは同心円を描き広がっていく。人間だって自然物。この地球に産まれた1つの自然物。そんなコトにまでイメージが広がってしまった。