過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

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 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

『ZガンダムⅡ 〜恋人たち〜』を観た。②

映画ではTVよりも女性キャラにクローズアップしてる。レコアがなんでシロッコに魅かれるのかもこの歳でやっと分かったというか。
シロッコの部下でサラという女性の曹長がいるんだけど、そのサラもスパイとして、カミーユ側のエウーゴに送りこまれる。そのサラの言動からレコアはだんだん自分の中でシロッコの存在がでかくなっていく。クアトロ大尉(シャアのコトね)に想いを寄せていたんだけど、相手は全くの戦争人間で、戦争だから活き活きとしていられる人間。女性に対してのキビみたいなモノについて全く鈍感。
対してシロッコは、サラを支配下において、サラの言動てのはシロッコを信じきっている。ようはサラを軍人や物ではなく、1人の人間として扱っていて、しかもシロッコはそんなサラの想いも利用している。シロッコは彼自身の配下、彼自身によせる想いすら利用しているのだ。ソレを感じていながらも、より強い男性像を求めて次作、レコアはシロッコに身を寄せるコトになる。言葉は悪いが、簡単に言えばレコアはファザコンだろう。この戦場という男女も関係なく、ソレでも戦場というのはやはり男の世界なのか、女性は男に負けまいと懸命に背伸びをした結果、自分より強い男性を求める。ソレをクアトロに求めたが、クアトロでは満足できず敵であるシロッコに求めたのだろう。女心ですか。戦場では精神も歪んでしまうのだよ。
ただサラもうすうすとは自分が利用されてると気付いてたのカモしれない。ソレでも離れられなかったのも、女心ですか。彼女も軍隊に身を置いて、いわゆる普通の、民間人がしてる生活をしていない。そんな軍隊漬けの彼女は、民間人であるカミーユの民間人らしい何でもない普通の生活に触れて、そしてカツの純粋に人を想う気持ちに触れ、その何でもない温もりが自分のココロの奥底に沈殿していくのを感じ取る。その想いはラストまで彼女のココロに残る。
Zガンダムというモビルスーツ(略MS)は「希望の翼」なんだと思う。人々の思いをのせて明日へと羽ばたいていく翼。対してフォウのサイコガンダムや、シロッコのジ・オは彼らの捕らえられてる呪縛。その大きさが、そのまま彼らの乗るMSに具現化されている。Zは軽やかに飛翔していく翼なのだ。
シロッコはたぶん自分が木星で、なかば阻害されたような孤立感があって、自分の精神を支えていくために、他人の愛というモノや想いも利用してやろうという、歪んだ思考の構造が彼の中で確立していったんだと思う。次作のコトだが理想を言えばカミーユはラスト、シロッコさえも救うべきだった。しかし年齢的に、人間のレベル的に、シロッコを打ち砕くコトが精一杯だった。その巨大な憎悪の念を救うコトができなかったから、カミーユは自分の精神を連れ去られてしまう。ラスト、TV版ではカミーユは精神崩壊したが、映画版ではそばにいるファという存在の温もりによって救われるんだと推測する。ココがアムロとフラウがくっつかなかった点と違うね。フラウはアムロの中でララァの存在があまりにでかいコトを知って、そばにいたかったけどいれなかった。ソレは第1部でフラウが言ってるんだけど。
カミーユと、幼なじみのファは民間人で、たまたま戦争に参加するコトになってしまった。彼等以外は軍人で、日々軍隊漬けだ。だから民間人であるカミーユやファは「こんな世界にしてしまった大人はおかしい!」という気持ちをラストまで持ち続けている。システムに安住してる人を糾弾しているのだ。
ソレは『SEED』でも繰り返し言ってる。僕らが戦う敵はこの戦争そのものなんじゃないのか!と。デスティニーという運命という名のMSにのるシンは戦いに敗れ、彼は戦争と運命から解放された。デストロイというMSがあるが、全てを破壊してこの世界をゼロリセットすればいいという問題ではない。キラとラストに交戦したレイは、自分がクローンだという、自分の存在の無さというコンプレックスが彼のMS、レジェンドに表れている。
キラは呼びかける。全て救おうとする。全てが管理され、作り出された平和。しかしソレでいいのか?と彼は問う。管理してる目はいつでも自分らをおびやかす存在に成り代わるコトができる、というコトだ。ソレが分からないのか?そんな中途半端でがんじがらめの形だけの自由じゃなくソレよりも、たしかに時間はかかるだろうけどパーフェクトフリー、そういったきまりや制約を一切必要としない「完全なる自由」という高みを求めていこう、いつの日かこの手につかもう、そのコトを希望を持って信じていこう、と。キラののるMSの名はフリーダムだ。君の手に持つのは武器ではない。お互いの手、なのだ、と。
ガンダム』のオープニングテーマで流れる絵に、主な登場人物たちが手を広げ天に突き出す絵がある。『逆襲のシャア』でラスト、アクシズが地球に落ちるのを、敵味方関係なくみんなでなんとか食いとめようとするシーンがある。当時はあんなコトありえねぇーだろと嘲笑モノだったが、たしかにバカげたシーンではあるが、アレが一番監督が言いたかったコトが分かり易く描かれている。
愛なんて言葉だとでかすぎて、ひょっとしたら西洋人的な発想で日本人には合わない、気後れしてしまうカモしれないが(ホントはそのくらいの強い思念の力を一人一人持つべきなのカモしれないけど)、となりの人と手を取り合うだけでいいんだと思う。愛という熱い温度じゃなく、心の温もりが必要なんだと思う。別に分かり合おうとしなくていい。人の気持ちなんてみんな分からない。でも人を想う気持ちがあれば、多種多様でバラバラな心が1つに束ねられていくと思う。人を自分の心に置くだけでいい。自分のフィルターを通さなくていい。色眼鏡でみなくていい。相手を否定もせずムリして解ろうともせず、そのまま相手の存在を置くだけ。ソレが相手の存在を丸ごと受け容れるコト。ソレが温もりなんだ。
ガンダム作品はいろいろあるけど、一番初めの『ガンダム』と次の『Zガンダム』、『逆襲のシャア』、で『SEED』と『SEED DESTINY』、この5作を観るのがベスト。最低『SEED』は観てほしい。言ってるコトは同じコトなんだけど、『SEED』はより一歩突っ込んだコトが描かれている。ガンダムだからてバカにしちゃいけない。この世で最も大切なコトの1つが描かれています。