極私的立地分析⑤番外編。〜世田谷線の車窓から〜
本日は極私的立地分析のワイド版という感じで、いきなりだが世田谷線に飛びたいと思う。ホントはちゃんと順を追って豪徳寺を降り山下へ、、てな具合に書き進めてこうと思ってたのだけど、ちょっといよいよ書かなきゃ、というきっかけが昨日あったもんで。
ワタクシは世田谷線が好きである。説明しよう。世田谷線というのはホントは違うのだが、簡単に言えば路面電車をイメージしてもらえると分かり易いと思う。ホントの路面電車は車道にレールの溝が切ってあって、車道の真ん中に浮島のよに停留所があったりして、車が来ないかどうか左右見ながらソコまで小走り、とかそんな具合なのだが、世田谷線はその辺は一応、ちゃんとした「電車」である。三軒茶屋〜下高井戸を専用の線路を走ってく。ただいわゆるふつーの電車に対して、プラレールみたいな大きさであり(2両しかない)、車内に入って走る電車から見る景色・視線の高さは全くもって「バス」のソレと同じである。運転席の横に立って、運転席視点のパノラマビューも思いのままである。
駅には改札はない(横ちょに人がいる駅舎みたいなのがある駅もある)。ましてや自動改札などというハイテック装置もない。よって駆け込み乗車が容易である。運転手さんも少々なら待ってくれる。ふつーの電車のよに時間になったら是が非でもとにかくバタン!つってビューッ!て行ってしまうよな、目の前でドアが閉まって車掌がケケケケ!と笑う(車掌の指差し確認は、そいつを指差して笑っておるのだよ!!衝撃の事実!! うそ。)よな東京砂漠的ドライさはない。終点以外は基本的に車内でバスのソレと同じよにお金をチャリン、である。お金を払ったら「ありがとうございます」と言う。電車であってバスであり、バスであって電車である、みたいな。まずこの「簡易的電車」感が好きである。
電車が通る幅がせまく、住宅の間を縫って走るサマが電車のソレと違い、例えるならいわゆる一般的なジェットコースターと花やしきのジェットコースターの違いである。スピードは遅い。がしかし、実際乗ってみると「遅い」という苛立ちは湧かない。むしろ「自然にあらがうコトなかれ、、」とゆっくりと、しかも淡々とさとすお坊さんのよな「禅」の世界を感じる。わびさび、である。まるで人生を達観したような老人である。よって乗りこむと日常生活でトゲトゲしてたココロが和んでくる。和まざるをえない。だって時速10kmでしょうきっと。もーちょっとあるカナ。懸命に自転車こいだのと同じくらいだと思う。いくら「遅刻するから急いで〜〜!」とあわて気分でも、ソコは世田谷線の世界。世田谷線時間、である。この速度と景色の流れ具合が世田谷線独特の雰囲気をかもし出す。地元密着型電車である。つづく。
♪世田谷線公式(希望)ソング集♪
Mamma Crucell:アルバム『This Is Mamma Crucell』