自由と権利の綱引き。
ある女性シンガーのBBSを覗いてみたら(ちなみに↑のリンクに名を連ねてる方々ではありませぬ)、何やら自分の歌詞が盗作されたという問題があったらしいのだ。実際に発表されたのかしてないのかまでは定かじゃないのだが、結局は話をつけて「共作(共同作品)」という具合に間をとって落ち着いたらしい。ソレとはまた別件で、そーいった騒ぎが、まーあまり表ざたになってはないにしろ「あった」という情報が伝わってしまっているにも関わらず、そのシンガー自身の書いているブログ日記に付けたタイトルが、あるヒット曲の題名をもじって付けている、このコトはどー説明するんだ!と言ってる輩がいるのである。
まーワタクシ自身は「しょーもない」と思ってるのだが、ただし「しょーもない」と全部を片付ける話でもないなー、とも思う。というのはやっぱり間が悪い、と言わざるをえない。自分の盗作話とタイトル騒ぎの時間が短かすぎ、というのがある。結び付けて考える輩が出てもオカシクはないだろう、というか可能性が無くはない。
あと「引用」と「盗用」のちがいてのはある。著作権云々に関してのワタクシの極私的見解てのは、ようは「利益があるかどうか」の1点である。たしかに自分が作って産み出した作品に対してのエネルギーてのがある。その作品に乗っかってる魂てのがある。ソレを勝手に無断で盗られたら腹が立って当然だ。じゃー1つ聞くが「他人の作品をカバーして歌ったりしたとかはないのかね?」と。
音楽てのはこの辺はヒジョーに矛盾である。ソコには「リスペクト」「尊敬の念」なんて言葉が浮かんでくるのだが、ソレは法律には規定できない要素なのである。ひょっとしたら口先だけで「尊敬」などと言ってるのカモしれない、というウガった見方をされる可能性も無きにしもあらず。そーいう精神面をどーのこーの言ってもキリがないので、ソレをするコトされるコトで利益が出てくるのかどーなのか?という基準で考える「しかない」のだ。この視点でいくと歌詞の盗作は完全に「黒」で、ブログ日記のタイトルは「白」となる。
ただBBSで騒いでる輩が言いたいのはそーいうコトじゃないのも分かる。ようは「信頼性」の部分なのだ。前に事件があって被害を受けてるはずなのに、どーして今度は加害者のようなコトをするの?と言うコトである。シンガー側に100%非が無い、とは言えない。ワタクシが再三この場で書いてるように、ソレが「言葉」というモノであり「ネット」というモノだから。コレはそのシンガーの真面目なファンであればあるほどショックなのカモしれない。たしかに「子供」ではある。でもかといって「大人」を強要する権利もシンガー側には無いはずだ。だからシンガー側は発言はしない。ファンが自発的に「大人」になるか、ファンを辞めるか。そのシンガーもネット歴がかなり長く、ワタクシからすれば「モノスゴイなぁ」というほどの技術を持っている。だからたぶんネットで起こりうる典型的なトラブルなんかはすでに「織り込み」済みなはずである。解ってるはずだ。でも人間だから口がスベってしまうコトもある。でもその発言は半永久的に残る。ネット空間を漂う。発する言葉に責任を持つと同時に、訂正等をしないのなら、公に発表したコトはどー受け取ってもらっても構わない、という発言側の寛容さは必要になる。ただそのコトで傷ついた人が意見を言いに来たのなら、自分が正しく伝えるのを怠ったと一言断りはいれるべきではある、と思う(BBSという公の場でムリならメール等で)。ネットとか言葉のファジー(死語)さを持ち出すまでもなく、礼儀として。自分のBBSに規定を設けてるなら、ソレは発信する側にも当てはまるコトである。その点ではダレでもが「平等」であるべきだ。
ムズかしいのは、こーやって何の気なしに書いてるコトも、どこかのダレかを傷つけてる可能性はあるカモしれない、というコトである。何かを伝える、というコトはそーいう表裏を秘めてるモノなんだ、という認識が「お互い」必要なんだと思う。
で絵の世界ではオリジナルの絵に精巧に似せて描いた「贋作」なんてのがある。コレはソレ自体も評価されて価値がある場合もあるが、シロウトにはパッと見どっちが本物か分からない、なんてコトがホトンドだろう。でもプロが見れば分かる。骨董品なんかもそー。「いい仕事してますね〜」なんてやってるでしょー。贋作てのもそのプロに見てもらうまでは「贋作だ!」と気付かないコトがある。ようは所有者の気持ち次第でニセモノにも価値があるのである。ソレは逆に「贋作」だけど、コレはコレでモノスゴイ仕事がされてる、という評価もあるのだろう。こーなると見た目贋作の「オリジナル」に昇華してしまう。価値逆転である。
あと今度は製作者側に告ぐ。どんなに似てたとしても、仮に社会的に評価があったとしても「こんなのオレの作ったのとドコが似てるって言うんだーッ!!」て言うぐらいの気概が欲しいモノだなぁー、と思ってしまう。認める、てのは自分の負けを認めてるよーなもんだろ!?とも思ってしまう。「へっ、何言ってやんでぇー」というくらいの余裕が欲しいものだ。
ただまた音楽に話は戻るが、今の時代もー「オリジナル」なんて存在せんでしょー、てのもある。真似のまねのマネ、みたいな。今一番売れてる柑橘系家電製品系バンドも盗作スゴイらしいしなー。かなりグレーゾーンなワケでしょ実際。でも商業的にOK??とされてるワケであの方がよっぽど「ナンカヘンデスネェ」なんだけど、かといって大なり小なりみんなやってるワケでねー。んなコトいったら「根絶やし」ですよ、日本の音楽は。だから自由と権利を両方とも主張するてムズかしいなー、と思うんだけど。
でも思ったんだけど、音楽てやつがもーすでにそーいう存在なんだよな。作った側からすればこんな風に解釈して欲しい、と思いながらも実際受け手側の解釈はバラバラでしょ。ただそんなバラバラ加減が面白いねぇ、ていう面もある。ただソレは作った側が訂正しない限りそのままで、間違った解釈もそのままだ。ひょっとしたらソレでダメージ受けてる人もいないとは言えない。そーいう意味では音楽もボール投げっぱなし状態。賛否両論あって当然。良いねぇ!て人もいれば批判する人もいる。表現てそーいうモノだ。ソレの「良い」意見ばかりを聞いて奢り高ぶり状態もケッコーだけど、批判も平等に受けるという真摯な姿勢が必要だと思うのだが。批判を嫌がるのなら公に発表する必要がないし(発表して評価を受けたいのと違うのか?)。
とある飲食店の店長には「ドジりネタ」があるらしい。ソレは店長の持ちネタで、お客さんに対してワザとドジをやらかすのである。お客さんからしたら許容できるかどうかの微妙なラインではあるが、そっからが店長の素晴らしいトコで、200%完ペキなまでのフォローをして、そのお客さんを熱い常連に仕立てるというウルトラ大逆転ワザを持ってるのだ。ワタクシには到底そんな芸当はできないが(笑)、飲食のモノの本にはそー書いてある。そーいうツワモノもいる、というコトだ。BBSの彼は決してクレーマーではないが、ソコまで行かないにしろクレーマーに対して、ピンチをチャンスに変える機転の利かせ方が必要なんじゃないか、とも思うのである。マイナスをプラスに変えるチャンスじゃないのか?と。