音楽という存在のアヤウサ。
ネット通販で思うのが「音楽」の存在ね。この「音楽」てヤツはヒジョーに特殊なよな気がするんだよな。まず音楽自体は「物」ではない。CDなり何なりに収められて、もしくはデータ扱いで流通される。この「データ化」ができるというのが、音楽の特性でありやっかいな部分である。
作った人は主張する。自分が作った曲、と。でもたくさんの人に聴いてもらいたい。この矛盾する想いが音楽のビミョーさを加速させる。
例えばルービックキューブを、そっくりマネて作りソレを誰かにあげたとしよう。1ヶ2ヶなら問題はまず起きない。ところが1000や2000というケタになると、、、コレは問題なんじゃなかろか。ところがコレは表ざたにならない限り監視できない。
音楽はデータにできるのだから、理論上は100%管理が可能だと言える。ようはその管理するトコロを通らないと流通できないようにすればいいのだから。しかし現状は管理するトコロを通らずに流通もしている。別に何らイリーガルではない。コレは規模の大小の問題なんだろーな、とワタクシは思う。
作り手が管理できうる規模(ようはお客さんの数)ならメールのやりとりや何かで、ダイレクトにやりとりができる。その管理ができないほど規模が大きくなると、管理をしてくれるトコロに任すと。もちろん規模が小さくても管理を任せるケースもあるだろう。管理を任せる、というコトは権利や何やらも全部そちらに移ってしまうんだろーか?それとも作り手にも権利は残るのだろうか?このヘンは法律をよく知らないんだが、作り手にも権利が残るなら、管理する存在が「複数」になってしまうワケで、このヘンがケッコーややこしいんだろーなぁ、なんて気もする。自分が作ったモノでありながら自分だけのモノ(管理下)ではなくなってしまうので、↑に書いた矛盾する想いが満たせないだろーな。ソレは「管理してもらう」と引き換えなんだろーか。このヘン、作り手側はどー折り合いを付けてるんだろーか。
せっかく作ったのに今の時代簡単に複製ができてしまう、そーいう存在だから簡単には売るコトができないもどかしさね。なんかその部分はヒトゴトだけどお気の毒だなぁ、と思う。せっかくネットて革命的なモノがあるのに。なんかものすごくコインの表裏ね。
なかにはちゃんと価値を認めて、作り手に貢献するお金なんだという意味を込めて¥3000なりの値段設定でもお金を払う人はもちろんいるけど、その部分が少しでも欠けてたりすると、より手軽に、タダで手に入れられるのならそちらを選択する人も存在するワケで、たしかに消費文化に対する警鐘という側面も出てくるが(そーいうコトを引き合いに出して、自らの行為を正当化しようとするが)、ソレはソコまでの価値を認めるに値しないと勝手に判断を下されるワケだが、自分は¥3000で買っておきながらデータ化して流してしまう人もいるワケで、もー結局は「どうかお金を払って聴いてもらいたい」「そーいう形で流れているデータは取りこまないで下さい」「価値を認めてくれる人を一人一人増やしていくしかない」というモラルの問題、というトコロに帰結してしまう。
だからワタクシは「CD」どまり、で終わっておけば幸せだったんじゃないのカナ、なんてコトも思う。一切データ化は技術的にできなくて、パッケージングされた「物」という形でのみ流通できる、と。コレが1回だけ複製OKとかするからオカシクなってしまう。まぁもー時代はこっちを選択してしまったから止めようがないんだけど、便利さが自らの衰退を招く、てね。技術が進み過ぎましたね、てコトです。