『ミリオンダラー・ベイビー』を観た。
昨夜はおツボネさんのお供で『ミリオンダラー・ベイビー』の試写会を観てきた。新宿西口の明治安田生命のビルで、良い席取りのために1時間ほど先に並んでいたおツボネさんと5時半ごろ合流。前にも試写会で入ったが、300席ほどのそんなに大きくはない会場で、入りは9割ほどだったか。最後列に陣取った。
映画の内容は、最初想像するに女性版『あしたのジョー』、クリント・イーストウッドが丹下のおっちゃんだと思っていたのだが、ソレは半分当たりで半分ハズレ。一言で言うと「人生賛歌」なのカナ?主人公は昼間はウェイトレスとして働きながらボクサーを夢見るビンボーな女性。志願してきた娘を「女性は育てない」とムゲにことわり続ける老コーチ(クリント・イーストウッド)が、その娘を女性のボクサーとして育てるハメになる。彼女の熱心さに理解者が出て来たり、老コーチの指導にも熱が入る。コレはモノになるのではないか、、?待ちに待った試合をやっと組んでもらい、試合は1ラウンドKOが続く。向かうところ敵なしの連戦連勝街道まっしぐら。ファイトマネーを親の家の購入のために使うが、親には「おかげでいい笑い者だ」と罵られる。ココロのより所が老コーチにしかなくなってしまった主人公と老コーチの結束力は、家族以上のモノに高まる。そしてとうとう上り詰めたタイトル戦、大声援の中不慮のアクシデントにみまわれる、、。
前半はこんな感じでイケイケ状態なんだけど、後半はなんとも後味の悪い重苦しいムード。監督もクリント・イーストウッドなんだが、彼自身もうおじいちゃんで、やっぱ「死」とかを意識してるのかなと思ってしまうね。大体アメリカの映画とか、宗教が大きな存在というか役どころで絡んでくるのが多くて、そーいう宗教観みたいなのが日本人は理解しにくい世界でしょ。彼らは生活に密着してて皮膚感覚で分かるから、この映画がアカデミー賞取るんだろうけど、日本人はそーいうベースがないから、たぶん100%は理解できないんだろな、と思う。だからアカデミー賞取ったからといって日本人に受けるかといったら「?」みたいな。
結局ボクシングの世界を通しての「人生の縮図・人の一生」を表したんだと思うね。自分が思い通りに生きてきたから悔いは無い、安らかに眠れるという。尊厳死て言葉もあるけど、人間自然がいいんだという、コレは仏教ぽいけどね。今ちょうど読んでる本でつながりがあるんだけど、人は死ぬと。もし不老不死だったら我々は今ココにいないと。だって種を残していくというコトをしなくていいワケだから。だから話ソレるけど、いわゆる発展途上の国の人が子だくさんというのは、アレは種を残していかなきゃならないという生命の本能からくるモノだと思う。だからなのかこの日本は少子。なにもかもが一応安全なこの国では生命の大切さ・危機感もボケているのではなかろうか、と思う。
無限の命というのは恐ろしく長く退屈ではなかろうか。命は有限だから、そのはかなくも限りある日々を謳歌できるのではないか、と。