前段階としての店舗。
カフェ関連の雑誌とか本を見ると、100万円でカフェを作った!とか見かける。たしかにやりようによっちゃやれないコトはない。東京じゃなかなかムズカしいんだろーけど。でもソレは「ありえない」とか批判的?な姿勢の人もいる。人からお金をもらうのだから、ソレ相応の店作りをするべきだ、とかが理由だったりする。たしかにソレも一理はあるだろうが、余計なお世話だったりもする。別に人にお店を買ってもらうワケではない。
批判姿勢な人の考えはワタクシから言わせれば、少々古いんではないかい?と思ってしまう。お店を作るとなると飲食店の場合、もちろん大きさによるがハコが空っぽ(スケルトンという)の状態からお店になるまで2千万、3千万かかる。普通はそんな大金全部自己資金、て人はあまりいなく、借金するコトになり、その借金返済に何年もかかるのだ。じゃーその何年のうちにお店がツブれたらどーするの?借金はそのままかかえてしまうワケだ。こーいうシンプルで大事なコトがないがしろにされて、しかもコレがお店づくりの「王道」としてまかりとおってるその常識がオカシイとは思わないのだろうか。
その道20年のベテラン料理人でも経営に関してはドシロウトだ。たしかに可能性はあるだろう。しかし自分のプライドが邪魔したりキャリアにおぼれて、時代が読めずなど逆にダメだったりするコトもありうる。経営というのは、実際にお店を運営しないと分からないコトがいっぱいあるのだろう。
だったら満を持して何千万もの大金をつぎこんで、のるかそるかの大博打を打つよりも、その前段階のステップとして、テストとしての店舗、という考え方も「あり」だと思う。できるだけ支出を抑えた店を作り、商品で勝負するという形。1年後、この先続けられるかどうか判断をしてから、改めてお店をしっかりしたりすればいい。そーいう考えで「100万カフェ」なら、その方がよっぽどかしこいのではなかろうか。特にコレからの時代はそーいった形の方が合ってると思うのだ。
何事も結局はやってみてからでしか判断できない。ならなるべく負担のかからないやり方でその一歩を踏み出すコトが重要なのではないか、、と自分に言い聞かす。