「誰でもやれる」「誰もやらない」
そんなの誰でもやれるでしょ、と言うけれどワタクシは「じゃ、だからなんだ?」と思う。ただ生活していければいい。例え「誰でもやれようがやれまいが」。まわりはかんけーなし。実際はその人なりのつちかってきた技術やらちょっとしたコツ(コレが意外にデカい)、キャリア等で「誰でもやれる」というレベルではなくなる。「誰でもやれる」というのは、人を雇う側から考えれば好都合でもあったりする。人件費のかからないバイトの人でも教えればできるようになり、オーナーはさっさと隠居、である。もしくはその店は任せて2店目、3店目へ向けてレッツゴーである。ソレはそーいう「才覚」がある、というコト。ソコが「非凡」なのだ。他にも例えば「誰でもやれ」ても立地が特別。扱ってる食材自体が特別、等々、、。
逆に「誰もやらない」というのがある。そんなの誰もやらない、誰も「やってない」よ〜、売れるワケない、等。だからこそやってみる価値がある。こんなの商売にならない、と避けてるコトが意外に商売になったり。例えソコソコだとしてもその「ソコソコ」がいくつかあれば、、である。「儲かる」ていうのは何でも基本的に「逆張り」である。株なんか特にガバっと大儲けしたいなら、人の動きに追随してたら小儲けしかできない。他人と逆をやってみる。
誰でもがやれようがやれまいが、ソコを知恵をしぼってアレコレ考えていくのが面白いんじゃないのかなー。商売の醍醐味だと思うんだけど。その点をそー考えるか、考えないかでハッキリ分かれるんだろーね。リスクと考えるか、面白がれるか。