身体の記憶。
4年前も、今日のような冷たい風が吹いてた。この時期に冷たい風を肌で感じると、4年前に思いを馳せる。
そういえば、アスファルトの地面の薄さを感じたなとか、建物がありえないくらい揺れたなとか、駅前の大型ビジョンの、まるでCGのように現実味の無い津波の映像とか、建物の中から出てきた人たち含め外にいる人の多さとか、停電で信号が点いてなかったなとか、とにかくなんらかの情報を得ようと街中を歩き回ったコトとか。
だんだん日が暮れてくにつれて、車の往来が激しくなり、やがて渋滞になり、道ではタクシー待ちの長い行列ができ、駅の構内では帰宅をあきらめた人たちが座り込み、交通手段の無い人たちは意を決して歩いて帰ろうとし、その中の1人として歩いた道と、その道の長さと、そしてその道中で感じた、帰宅困難者たちのなんとなくの連帯感。そういう様々な記憶が、身体の記憶として刻み込まれている。ワタクシにとっては、ソレを思い出すのが今日という日だ。
あれから4年。この国はあの日から分断している。もちろんソコには操作もあるし誘導もあるだろう。でもワタクシは4年前、長い帰り道に感じた、あの連帯感。アレが希望の灯火として、まだ胸に残っている。そういう良かった点も、身体の記憶として刻み込まれ、そして思い出す。