昭和の親父。
昨日「プロとは。」で書いたのは、昨日発売の週刊プロレスの全日本秋山社長(この場合「選手」と書くのが適切なのかなとは思うけど、今回のブログでは「社長」というモノに注目したのでコチラを採用)の試合記事を読んで思ったコトなんだけど、まず「意地」だなぁーと、思ったですよ。秋山社長自身「もう意地だけ」という発言をしたと記事には書いてあった。若手の壁になるというのは、意地だけだ、と。
40をいくつか過ぎた選手と、コレから上がってくであろう若手の選手。体力やスタミナや勢い、ドレをとっても若さには及ばない。たしかに長年リングに経ってる方がその若さを受け流すキャリアや技術はある。でも逃げるワケにはいかない。しっかり受け止めなければならない。若手に簡単に越えられるワケにはいかない。大きな壁でなければならない。なぜなら団体の次の担い手になってもらわなければならないから。そのためには相手の対角に立つコトも厭わない、、。
まるで『巨人の星』の星一徹だなと思った。そういえば一徹さんも飛雄馬の敵のチーム(ドラゴンズだっけ?)の監督になった。一徹さんの場合は飛雄馬をやめさせようとしたんだっけか?野球を。忘れちゃったけど、秋山社長に「昭和の親父(おやじ)」というモノを感じた。社長にもいろんなタイプがあるというコトだろう。
秋山社長が今改めて「伝統」だとか「ジャイアント馬場」だとか言うのは、逆に言えばそういうワードが使えるプロレス団体は限られてるというコトだ。新日本か全日本くらいのモノだろう。だからこの2つの団体は「メジャー」と呼ばれる。
「伝統」と言えるだけの時間と歴史の厚みであり重さがある。ソレならせっかくそういう団体の強みを捨て置くコトもないだろう。使えるモノは使おうと、そう考えても不思議ではない。ソレはプロレス団体の差別化につながる。別にまるっきり昔に戻るというコトでは無いと思う。「伝統」とか「ジャイアント馬場」というモノを活用しながら、当然ながら今の時代性も考えて、そして若手の奮起を促すという将来も見据えて、団体を続けてく、とそういうコトなのだろう。