身体は自然。
今フっと思いついたので、分かりやすく書けないけど、自分用の覚え書きとして。
身体or脳で受信したモノに対して「なんだか分からないけど」反応する、のと受信したモノを脳みそで半ばムリヤリ強引力ずくで翻訳・変換加工してなんだか「分かる」ようにする、のとある。「意識」とか「我」とかのフィルターを通すか通さないか。強引にでも「なんだか分かる」ように変換するのが「意識」とかフィルターの役割。逆にいえば「意識」とか「我」なんてのは、その程度の役割でしかない、のカモしれない。
情報の最適・圧縮化。ただしムリヤリ翻訳してるのでたとえばCD→MP3化するのと同じように、変換してない音域・データがあるワケだ。
人間なんて「なんだか分からない反応」ばかりだ。身体のコトなんかさっぱり分からない。自分の身体のはたらきを100%把握してる人なんてこの世にはいないだろう。そういう意味では「自然」と同じようなモノだ。ソレでも人間は生きられる。自分でいちいち考えなくても、とりあえず健康で生体を保てている。大したモノだ。
あ、でもコレも今思いついたけど「病は気から」という言葉もあるように、風邪ひいたなーとか意識しだすと、風邪が悪化したりとか、逆に意識すると痛みが治まるとかもあるな。病て身体の表現だしな。アウトプット(出力)だ。そういう意味では言葉を発するのと変わらない。
ホントに笑ってなくても笑顔をするだけでNK(ナチュラルキラー)細胞が活発化するとかも聞くし。意識した方が良い場合もあるし、意識しない方が良い場合もある。意識→身体、もあるし身体→意識もあるてコトだな。とにかく連動はしてるんだ。
ソレ以上のコトはより深く追求してみないと今の時点では分からん。