ちょっとムリが、、。
今週の月曜から引き続き『あまちゃん』観てますよ。もう「第3部」という様相だから、月曜のは観ないとこの先展開が分からんくなるというワケで録画して観て、火曜と今日はごあま(午後の『あまちゃん』)を観て。
「『あまちゃん』がどう3・11を描くか」というコトに興味があったんだけども、まぁでもやっぱしというか、極力リアルな映像(とくに原発。「風評被害」という間接的な表現に留まる)は避けた、というのが全体の印象で。津波とか電車の状況とかの、あの模型のヒンジャクさというか、アレはこういってはなんだけど絶妙と言うか、ギリギリなさじ加減、という感じ。絵でもなければリアルな模型でもない、もちろん現実そのままのドキュメンタリーな映像でもない。絵だとあまりに子供じみた感じだし、「あのくらいのヘタな模型の出来」に、シリアスとかコミカルとかいろんなコトへの「配慮」を感じられたな。今までの『あまちゃん』の流れに沿う範囲内での表現。
そういえば今まで電車が走ってるシーンとか無かったよなーと。まぁあくまでワタクシがたまに『あまちゃん』を観た範囲でしかないんで実際はあったのカモしんないけど、ようはスタジオのセットばかりじゃない。「梨明日」だっけ?喫茶店兼スナックとか駅舎?とか、あと夏ばっぱが住んでる家とか、その数箇所でしょ、あちらのシーンは。でもソレも当然で、現実はもう3・11後の世界だからね、現在は。だから映像としては3・11前は撮れないから。
そういう制約が『あまちゃん』てよく観ると実はいろいろあるんだよね。でもソレはあまり目立たなくしてるというか、演出とか脚本が絶妙なんだろうけど、そのへんの違和感はほとんど感じられなかったワケだよ、今までは。
でもさすがに今回違和感を持ったのは、地震があって太巻はTVの画面を見つめて情報収集してるようなんだけど、GMT含むアキちゃんらは電話を気にしてるだけで、TV見てないんだよね。あの時ワタクシらは情報知りたいから「とにかくTV」だったはず。でも「配慮」によって、リアルな映像を画面に出すワケにもいかないから「太巻のまわりで食い入るように画面を見つめるアキとGMTメンバー、水口」というシーンはなかった。そしてソレがドラマ上の中で3・11から少し時間が経っても、向こうの状況というのをアキが知ってるのか知らないのか、という感じ。ソレはちょっとありえないんじゃないかなーと思うんだけど。たしかに向こうと東京、というよりアキとの心理的な隔たりを表現したいのは分かるけどもね。
ユイちゃんに大吉さんが「見るな!」と言ったのも、子供にはこの景色は見せたくないという表れだと思うし、ソレと同様にアキちゃんにも夏ばっぱが「お構いねぐ」「御すんぱいねぐ」とかメールを送るだけ、なるべくこちらのリアルな状況を知らせたくない、という心理が働いてもおかしくはない。大人はそう考えるだろうよ。でもTVで観てるからある程度向こうの状況は分かるはずなんだけどなー。アレだけ当時やってたワケだし。気になるっしょ、向こうの状況が、普通。さすがにちょっとムリがあるなー、と思った。
だって今時だぜぇー。スマホだってあるしネットだってあるし、いやでも情報が耳に入ってくる時代じゃん。ソレら一切見ないで済ませるコトができてなおかつ「会うしかない!」てのは、あまりにアナログすぎじゃない?昔ならソレでも成り立つだろうけど。そのへんの感覚がちょっと昔過ぎるなーと。
実際の映像とか画面は出さなくても、アキちゃんがTVを見てるていうシーンていうのは撮れると思うんだけどね。ソレこそ太巻みたいに「TVの背面とTVを見るアキ」とか。あとケータイ見たりスマホ見たり新聞とか雑誌とかの記事で情報を得たりとか、そういうシーンをいくつかはさみこめばよかったのに。別にアキちゃんに限らず春子さんが新聞広げてたりとかさ。仕事、あの時期は自粛でとくに無かっただろうから。そういうシーンがあってもドラマの整合性は保てると思うんだけどな。ちょっとそのへんの描き方が物足りなかった。
でも、もうドラマも3・11後の世界だから向こうのロケ映像も流せるだろうからね。おそらく海女さんたちが海に潜れないていうコトも描かれるだろうし。
追記:
あー、んとね、あったようです。なんかTV雑誌みたら、安部ちゃんとGMTメンバーとでアキがTV見てるシーンの写真が載ってて(汗)。
でもね、もうちょっとアキの「北三陸に戻りたいけど現実を見たくない葛藤」を描いてほしいというのはあって。その葛藤を水口が代弁するコトによって、アキの「自分の気持ちにフタしてる感」てのを表現してるんだとは思うんだけども。「アキ自身の葛藤」を「ココロの中での会話」で表現しようとすると、今までのようなコミカルさが出ちゃうだろうから、「ココロの中の会話」じゃなくて、例えば仕事でヘマしたりとか、人の話聞いてるようで聞いてないとかていう上の空感?自分の気持ちにフタしてるけど実は動揺してるんだぜ、ていうシーンがあってもよかったとは思うんだけどね。そんで、言いたいけど言い出せなくて「春子さんのイスのひじかけに座る」につながった方が流れとしては自然だったと思うんだけどな。
夏ばっぱの一言メールてのも、アレはアキに対して「アキは海女じゃないだろ。海に潜れなくなった海女の気持ちはおまえさんには分からない」という気持ちもあるのかな。そういう意味でのよそよそしさ、なのかな。