仲立ち(お店)の役割について。
TV見てて思ったんだけど、八百屋てのがありますよ、世の中には。
コレから書くコトは、あくまで「八百屋さん」というのは例であって、「間に入る・仲介する」、そういう立場の人全てに当てはまるコトなんだけど、八百屋さんは単純に言えば、ようは生産者と消費者を結びつける、仲立ちをする、そういう存在であり位置にいるワケだ。
本来なら八百屋さんていらないんだよ。生産者と消費者で直接野菜なりなんなりを買ってもらえばソレで済む。直接取引すれば済む話。でも手間やら距離的な問題やら人手やら物理的な問題があったり、時間が無いという問題があったりするから、いわばそういった問題を引き受けて代行するのが八百屋さんという存在で、八百屋さんが代行してくれるおかげで、生産者は野菜作りに専念できるという利点がある。利便性といってもいいのかな。でも八百屋てソレだけじゃダメなのね。
本来、生産者と消費者で直接取引ができる。直接取引すれば、生産者は生産者が作った野菜なりなんなりの「こんな料理がコレには合いますよー」「保存はこうした方がいいですよー」というアドバイスやら、野菜に対する想いやソレこそ細かいコトまで消費者に直接伝えるコトができる。逆に消費者は消費者で「コレおいしかった」「今度はこうしてほしい」などと感想や意見を直接生産者に言うコトができる。
間に入る八百屋さんはそのやりとりもできるだけ代行してあげないといけない。生産者の声を消費者にしっかり伝え、消費者の声を生産者にしっかりフィードバックする。そういう直接取引の利点も受け継ぐのが「代行」という役割であって、ソレができてこそはじめて「代行」と言えるし、その八百屋さんの存在価値がある、というコトになる。
存在価値がある、ソレが認められて、はじめてその八百屋さんはお金がいただける。だって直接取引した方が安く済むんだからね。生産者と消費者でお金と商品渡し合った方が。生産者は生産者でちゃんと利益はあるし、消費者は消費者で安く手に入れられて嬉しい。ソコにわざわざ間に入って利益を得ようとするんだから、「自分の存在価値」というのをソコに付加しないといけない。そういうコトなんだろうなぁー。