下北沢は終わらない。Vol.7
再び世田谷代田へ舞い戻る。今度は外観。
駅そばの踏切。右側に駅、左側に環七がある。
ココは乗降客の少ない各駅停車駅なので、駅が地下になるとより一層寂しい地域という感じになりそうなんだけど。
反対側から。この1つ隣の梅ヶ丘駅を出るとすぐ電車が地下へ潜る格好になる。
なので、もう電車と並走して梅ヶ丘方面から歩いてくる、というコトはできない。ワタクシはこのへんは何度も歩いていて、馴染みがあるからこうやって踏切を写真に納めるのである。
しかし地下を走るてコトは環七の下を走るコトになるのだろうか?たぶんそういうコトなんだろうけど、、。となるとかなり地下に潜るコトになるんだろうな。
世田谷代田駅〜下北沢駅の間にある歩道橋にて。ココは絶好の撮影ポイントらしく、一眼レフを持った人が10人ぐらいいた。いずれこの歩道橋すら無くなるだろう。
また下北沢に戻ってきた。南口にあった掲示板。
南口から北口へ渡る歩道橋にて。小田急線を上から見られる。
上から見てると、まるで巣に帰ってきた鳥が、またすぐに巣から飛び立つようなイメージが浮かぶ。駅というのは「家」に似てるカモしれない。あ、だから「ホーム」というのか。
もちろんココでも写真を撮る人がたくさん。
下北沢駅北口。
向かいにあるピーコックの3階から撮った北口。
歩き慣れてるとはいえ、写真を撮りながら都合4駅分歩いたので疲れた〜。10時過ぎから3時過ぎまでかかった。ごほうびに昼食兼おやつとして、王将で天津飯(甘酢)&餃子を食す。うみゃい。
コレは↑の世田谷代田の歩道橋でもらった。
下北沢に所縁のある文士の立ち寄った店や名所の描かれた地図と、
裏面は下北沢界隈の古地図。下北沢周辺の文化や街の歴史を調べてる人らしい。
たぶん、このへんの街について知ってほしい、興味をもってほしいというコトで活動されてる方々なんだろう。
今回歩いて気づいたコトなんだけど、たしかに街というのは人がいてこそ「街」だ、というのはある。こうね、写真を撮っててもやっぱり人とか電車とか、何か動きがあるモノが写真に収まってる方が、ソコから「生活」とか「息づかい」とかを感じられるんだよ。撮ってる最中は目の前を人が歩いてたり横切られると「ジャマだなー」なんて思うんだけど(まー向こうもこっちを「こんなトコロで写真撮ってジャマだな」と思ってるだろけど:笑)、あとで見返すと、人が歩いてたりする方が写真が活き活きしてるんだよね。
写真てのはある時間を切り取った一場面でしかないんだけど、その前後の動きというか一部始終も伝わってくるんだな。例えば写真に電車が収まっていると、この電車は左から来て右へ行くだろうなと頭の中で動きが補完されるんだね。ソコに「街が生きてる」というのが感じられるんだよ。
原発事故で人がいなくなった街の写真を見たコトがあるカモしれないけど、やっぱり街が死んでるでしょ。時間が停まってる。人や人の作ったモノが動いて、呼吸して、動くから風も起こって、空気も入れ替わったりしてね。そういうコトすべてが「街」を形成してる。そう思うんだな。そしてソレは過去から面々と続いてる。
過去には過去に生きた人たちの生活があって、現在には現在の人たちの生活があって、おそらく未来には未来の人たちの生活がソコにある。姿形が変わっても、その時その時を生きる人たちの生活を、街が見守っている。
全ての人の想いを包み込んで、今日も下北沢は続く。
BGM:Oasis『Whatever』
http://www.youtube.com/watch?v=hwd7Zu8W9h4