一心同体。
先日駅で盲導犬を見た。たぶん初めてだと思う。駅の階段を下りて、ホームで電車が来るのを待って、電車がやってきて、ドアが開いたトコロで電車に乗る。こうやって書くと何てコトないごく普通の光景である。がしかしコレを「犬がやってる」となると事情が変わる。
↑に書いたコトをただやってるのではない。まわりの人々の興味本位の視線の中を集中して行動。ホームの端ではなく真ん中ほどでじっと座って待ってる。しかもそのホームは「1番ホームが各駅」で「2番ホームが急行or行き先が違う方へ行く分岐」のホームという複雑さがあるのだけど、1番ホーム側を向いて待っている。こっち側なら確実に各駅しか来ないからだ。そしてやってきた電車から降りる人たちを待ってから乗り込む。この一見スムーズさというかスマートさというかコトモナゲさ、の中に実はモノスゴい奥深いモノが詰まってるな、とあとから考えるとちょっと感動モノだった。
犬が考えて行動してる、というよりまずトレーナーがスゴいというコトだ。おそらくトレーナーというのはいわゆる目の見える人と同じように生活が送れるように様々な場面を想定して、こういった電車の乗り方なんかも1つ1つ教えてるのだろう。しかもこの駅では1番ホームなら確実に各駅しか来ないから間違えない、というのも当然解ってのコトだ。この駅で実地で何度もくり返し教えてるに違いない。
そして当然のコトながらソレを覚えて実際の生活に活かせる犬もスゴい。おそらく膨大な情報量なんだろうけど、その膨大な量の中から記憶を引っ張り出してる。ワタクシなんかよりずっと頭がいい(笑)。コレを見るとどんな犬でも盲導犬になれるワケではないのだなと思う。選ばれし犬にしかなれないのだろう。
電車に乗り込むまで遠巻きで見てたけど、何の不安も感じなかった、というコトは人も犬もお互いを信頼してるというコトなのだろう。人も犬を信頼してるからあそこまで何の問題もなくスムーズなのだし、犬は犬で頼りにされてる使命感とか献身的な部分があって、2人(1人と1匹)の間にはおいそれと立ち入れないような気すらある。
だから「ペット」じゃないんだよな。盲導犬は「身体の一部」なんだよ。無くてはならないモノなんだな。