流れにのる。
背後霊とか守護霊とかハイヤーセルフとか古い脳と言われる動物由来の本能の部分なのかまったく他の要因なのかは分からないけど、自分の考えとは別の行動を取った方がいい場合がある。AとBがあって、無意識的になんだか知らないけどAを選んでる自分がいて、そのおかげでなんとか助かったとか。「自分じゃない何かに導かれたなぁー」という。そういうのは事後的に思うのだけどね。
ワタクシは人(に限らずだけど)てのは、自分の思考だけではなく思考以外の無意識とか様々なモノ、目に見えるモノ以外のあらゆるモノゴトから、あみだくじのように、まるで綱渡りのようにして、なんとか日々生き長らえてるのではないかと思う。だから100%自分の考えで、頭で考えるてだけだとダメなんだろうなあと。だってそもそも人とネコの見えてる世界だって違うだろうしね。イヌにしか嗅げない匂いがあるだろうし、コウモリにしか聞こえない音もあるだろうし。そういうのは人が知覚できないモノだよ。ソレを「見えないから信じない」で切り捨てていいモンかねー?むしろ人が知覚できるモノなんて微々たるモノでしかないのカモしれない。
道を歩いてるとタイミング良く信号が青だったりして、「おっラッキ」とか思ってそのまま進むと次の信号でまた青で、3つ4つスムーズに行く場合がたまにあるよね。あとぜんぜん関連性の無いモノゴトが自分にとって良い具合に続いたり、トントン拍子にモノゴトが運んだりして。そういうのて「流れにのってる」というか。最近そういう流れの「一番初め」ていうのがあるのだなというのがなんとなく、うすうす勘づいてきたというか。
さっきの信号でも「別に渡る気は無かったんだけど青だから渡っとこか、、」みたいな。すると「あーそうかコレがあった、忘れてた」とか言ってその渡った側での用事を思い出したり。コンビニで雑誌買っとかなきゃいけなかったんだよなーとかね。渡ったおかげで反対側の道路工事規制を避けられたとかね。そういうのの「初め」て自分の意思とは別のモノが働いてるじゃん。そういうのはたぶんのっといた方がいいんだよな。
逆に「いいや自分は今こっちに行きたいのでこっちに行く!」とか「時間が無いからそっち行ってらんない」と抗ったりすると、その後あまりよろしくないんだよ。モノゴトがスムーズにいかない。ブツブツブツ切れになる。またずいぶんしてから流れの始まりに出合うまで、しばらく停滞してないといけない。時に思考てジャマだったりするんだな。
信号なんて自分の意思でどうにも出来るモノじゃないし、そういう操作不能なモノに対して、些細なコトでも自分にとって都合の良いコトがあったりした時、信号の例で言えばタイミング良く青の時、渡りながら「ありがとうございます」と唱えている。普通に赤で待って青に変わって、て時は唱えないんだけどね(笑)。