休日特有の「のどか」感から。
今朝、いつものように外へ出てから「あ、今日休みか」と気がついた。体育の日。なんか休みの日の空気というか気配てあるよね。なんとなくのどかで、実際歩いてる人も車も少ない。
こういう「空気に孕んだ気配を感じて、休みだと知る」てコトを体感してしまうと、世の中「自分の意思だけじゃないよな」と思う。
そりゃ当たり前だ。だって世の中には、てかこの空間にはいろんな人が生きていて住んでいるのだから、いろんな人の意思が大気中に混在してる。流れ込んでる。ひょっとしたら「生きてる人」だけじゃないカモしれない。そういうのをワタクシたちは「気配」として察知できる能力も備わってる、てコトだ。たいていの動物には備わってる能力なのだろう。
だから量子学で言う「人間が中心」的な考え方てのはどうなんだろ?とも思う。だって「相手」の意思だってあるだろう。あくまで「その人」には「そう」見えてるだけであって、真実の姿は誰にも(おそらく当人も)分からないのだ。
そんなコトを思った。