他人を「自分」だと思ってみる。
前に自分をヒトゴト(他人事)だと思ってみる、というコトを書いた。では逆に他人を「自分」だと思ってみたらどうなるのか。
そんな目で外を歩くと、例えば他人に対して、ちょっとイヤな面を見てしまった感じてしまった、とする。そうすると「自分もこんなコトをするカモしれない。可能性もなくはない。」とか「この人がこうしてるのは、こういう気持ちでやってるのだろう、やってしまってるのだろう。」など、自分の目線で考えるコトができる。しやすい。その他人→自分の切り替えが早くなる。
そういうコトをしてるとふいに「あれぇ〜〜?」と感じる。自分が他人で、他人が自分で。オレがあいつであいつがオレで、みたいな何だか『転校生』みたいなコトになってくるけど(笑)、「自分」と「他人」との境界線があやふやになってくる。じゃあ「自分」て何なんだろう?「他人」て何なんだろう、、?
他人は自分の投影であり、自分の鏡である。人は環境の動物だ。自分自身も誰かにとっての鏡であり投影である。相手の中に自分を見つけ、自分の中に相手を見つける。そうなると須藤元気氏じゃないけど「WE ARE ALL ONE」になってくる。
TVで、そのコトをもっと分かり易く言ってる人がいた。TV番組でよく旅をしてる関口氏いわく「外国を旅して、その国のコトが分かるのかと思っていたら、ソレよりも逆に、その国をとおして自分の国のコトがよく分かる。」
けだし名言である。そして、人生とは旅なんだ。