言葉は「容器」である。③
書物とはソコに書かれてる文字の情報しかない。その文字のコトをデリダは「エクリチュール」と称している。その書物の著者のまわりの環境、時代背景とデリダの時代とで言葉の持つ意味が若干違いが出てくる。出てくるとは言いきれないがその可能性はあるはず。ソコで著者(発信者)の伝えたい事柄と読み手(受信者)の受け取り方に差が生じる。
ウーロン茶より簡単な例は歌。作曲者の歌に込めた意味と聴く側の受け取り方がズバリぴったんこ合ってる、というコトはあんまり無いと思うし、むしろ人それぞれで受け取り方、解釈の仕方が違うから面白いとも言えるし、歌を作った人の手から離れた時点でその歌はもう人それぞれの「万人の歌」になってる。その「差」を利用してるとも言える。絵とか芸術モノもそーだね。
だから言葉て一見、辞書にも載ってて意味がハッキリして完ぺきなモノと思われがちだけども、歌とか絵とかと同じ種類のモノだと思う。歌・絵・言葉に対しての思い入れ・心象風景・思い出されるコト・情報のつながり・蓄積されてる事柄(データ)で回路が誰ひとりとして同じわけがないんだから、言葉の認識がズレるのはむしろ当たり前。だから別に普段も日常的に使ってる何でもない言葉でも、ある人にとってはインパクトがあったり、ダメージになったりもする。
ただ歌とか絵よりは意味が伝わりやすいし、自己を表現するのに一番手っ取り早いから「言葉」なわけで、その手っ取り早いがゆえに「話す」という表現手段が一番持ち入られてる、てだけのコトなんだと思う。
デリダは表面的な、読んだままの意味の文章を「コンテキスト(オブジェクト)的」、深読みが出来て含みのある文章を「パフォーマティヴ(メタ)的」な文章と称している。よくあるでしょ。チョット今すぐ例文が浮かばないんだけど、相手が「ナニナニしていいよ」と言ってるのに「ナニナニしちゃいけない!」とも受け取れるよな、そゆのって。言われた人はどっちにも動けなくてオロオロしてしまう、ソレを「ダブルバインド」と言う。まコレはデリダの「脱構築」というメインの哲学で今回は置いとくが、つまり言いたいコトはあんまり表面的なコトに踊らされない方がいいんではないか、と思うのである。
ワタクシは人の言動とか表面に表現されてるコトよりその奥にあるモノを重視してる。先に書いたよにワタクシは口下手で、言語翻訳がへたっぴ。ようは言語にすると、その前段階の「想い」から「言語」という枠にムリヤリ押しこめなきゃならない(ワタクシにはそーいう感覚がある)ので、ソコからはみ出てこぼれおちてるモノが絶対あると思ってる。言語翻訳というモノは歳をとるに連れ、コミュニケーションを重ねるに連れ上達していくモノなんだけど、でもなかなか100%言えた!というコトはないナァ。大体こーやって、100%言おうとするとながーくまどろっこしくなるし、普段の会話でみんなせっかちだから簡潔じゃないとダメでしょ。TVのバラエティーでタレントのトークとか全部そーだよね。だからっつってこーやって長々書いて伝わってるかというと、まぁボンヤリと薄まってくわけで(笑)。だから他人も100%言えてなくて(表現できてなくて)、その人の中でこぼれおちてるモノが既にある、と。その表現できてない部分が重要なんじゃないか、と。発信者から受信者という関係以前にもう既に発信者自身の中で誤ってる。
しゃべってても自分が思いもよらないコトしゃべったり、話の流れじょうとか、感情でモノ言ってたりとか。そーいうのはあんまりかんけーないな、ワタクシは。
だからまぁ言葉て追求しようと思えばクオリティ高くしていけるんだろけど、ワタクシはアバウトな使い方でもいいなと思う。辞書的に言えば全然違うのに、文法的にもおかしいのに、この言葉を使った方が「感覚」として伝わりやすいというのもあるし、ワタクシはソレを意識的にやったりもする。そーいう感覚的なモノでいいんじゃないかな。
♪「色」付きの女でいてくれよ〜な曲名集♪
チロリアンテープ・チャプター4:Red Guiter
the AUTOMATICS:Green Green It's Green They Say
PSY・S:Silver Rain、セパレイト・ブルー
橘いずみ:空色のカーテン、エナメル・ブラック、スパイシー・レッド、GOLD、 BROWN、ORANGE、青い月の輝く夜、赤い空(いっぱいあんなー)
服部祐民子:Grey Sky
さすがに黄色がないねぇー。白も意外に無い。