新日本プロレス高橋ヒロム選手「ジュニアとヘビー、違いが分かんねぇな」発言について。前編
battle-news.com先月27日に新日本の高橋ヒロム選手が復帰した。すでにこの大会については今週の週プロにも掲載されてたが、ワタクシが注目したのはヒロム選手のジュニアとヘビー、違いが分かんねぇな」発言だ。コレについて思うトコロを書き散らしてみる。以下長いけど引用する↓
『俺はこの欠場期間、約半年、何を考えてプロレスを見てたと思う? ジュニアとは何なのか、ヘビー級とは何なのかを、真剣に考えて見てたよ。いち選手として見るんじゃなくて、ファンの気持ちになって、いちファンとして俺は、見てた。
ジュニアとヘビー、違いが分かんねぇな。よくか悪くか、違いが分かんねぇな。でもコレってさぁ、ヤバいんじゃないの? 全てが曖昧だとさぁ、これから先、ジュニアをやりたいと思う人間がいなくなっちゃうんじゃないかって、すげぇ不安になったよ。
ジュニアとヘビー、何が違うと思う。頼みの綱の上村も、『105kgになって帰ってきたい』って言ってたし、デビューしたばっかのあの2人も、ジュニアなのかヘビーなのか分からないけど、どっちなんだろうなぁ。ただ今、この曖昧な状況でジュニアを選択してくれるかどうか、俺はそこが怖い。どれだけすごい試合、必死こいた試合、面白い試合をしようが、どっちを選択してくれるんだろうなぁ。
(※立ち上がって)だったらさぁ、思いついちゃったんだよ。ジュニアによる、ジュニアのための、ジュニアの入門テストをやろうぜ。トレーナーはそうだなぁ……(※ビデオカメラを指差して)金丸さんがいいかなぁ? いや、いいんだ、いいんだ、コレを一人のファンの意見として聞くか、それとも、真剣に向き合って、そろそろ考えるべきなんじゃないのか、新日本プロレス。』
コレは一見団体批判のようにも受け取れてしまうが、ヒロム選手の狙いはソコでは無いと思う。もちろんいろんな方向に問題提起してるとは受け取れるし、その中にはもしかしたら運営側への批判というか提言も含んでるカモしれないが、批判だけには終わらず、ヒロム選手自身も例として建設的なアイデアを出してる。ヒロム選手のキャラ的に深刻というか重い印象での発言ではなさそうに見えるが、コレは事前に言葉を選んで、非常に練られた考えられた発言なんだろうと思う。
『ジュニアとヘビーの違いが曖昧になった』
このコトはワタクシは原因は1つではなく複数が絡み合ってると考える。
まずはヘビーの小型化。昔は110kg台はヘビーでも小さい部類だったという印象がある。ワタクシの中では藤波選手がジュニアからヘビーへ転向した第一人者というか、今の小型化の先駆けのレスラーだと認識してるが、他のヘビー級の選手に比べて身体が細いという印象だった。今は110kgというと、ともすれば「スーパーヘビー」とか言ってしまう人も出てくる時代になった。DDT秋山選手が110kg台だと思うが、彼を指して「スーパーヘビー」と言うワケだ。ワタクシは「ソレはいくらなんでも、、」と思うが、もうそういう時代になってしまったのだ。
では現在の新日本のヘビーの選手といえば、棚橋選手は「100kg無いとヘビーじゃない」と公言してるコトから分かるように、彼自身100kgギリギリくらい?はキープしてる。オカダ選手内藤選手も100kg台だろう。オスプレイ選手もヘビー転向の際増量して105kgになったとか。鷹木選手はギリギリなんだろうか。石井選手、タイチ選手、ジェイ選手もたしか100kgだったと思う。しかし飯伏選手は90kg台。かつては115~120kgぐらいがヘビーの標準だったと思う。今は100kg台、ともすれば100kgリミットギリギリという印象だ。体重だけでも30~40年でコレだけ減っている。
体重が減ったから、みんな飛べるようになった。もしくは「ルチャプロレス」(飛んだり跳ねたりするのが主体のプロレス)が主流になったから体重が軽くなった。にわとりが先か卵が先かはワタクシには分からないが、ヘビーでもジュニアばりに飛んだり跳ねたりするプロレスが現在の主流のスタイルになったというのがある。
この「飛んだり跳ねたりするプロレス」を、たしか故マサ斎藤選手が彼独特の発音で「ルーチャプロレス」と解説で何度も言ってたのをワタクシは記憶している。
昔は、といってもほんの10年前は新日本もルチャプロレスが主流ではなかった。今の第三世代の3選手、永田選手天山選手小島選手は決して飛んだり跳ねたりをメインにしていない。今となってはオールドスクール、昔の新日本の流れからくるスタイルだ。とはいっても彼ら第三世代も90年代のプロレス(闘魂三銃士)が源流だけど。
で、棚橋選手や中邑選手の世代がちょうど彼ら第三世代と現在のルチャプロレス世代の端境、橋渡し的な位置にあたる。2人に加えて柴田選手がいるが、彼が一番正統派の新日本で、棚橋選手中邑選手は異端だった。棚橋選手は第三世代の昔の親日スタイルも対応できるし、今のルチャプロレスにも対応できる。今でこそ棚橋選手こそ新日本の象徴みたいな存在だが、かつて、2000年代は批判の対象だった。ちょうど世は総合格闘技全盛の時代。中邑選手は総合格闘技とプロレスのハイブリッドの選手で、異端中の異端だ。人気全盛の総合に対抗できる数少ない選手として、中邑選手こそが新日本の救世主的な存在だった。
まだまだ長くなるからつづく笑