もしかしてネットカフェでツイキャスライブ(アーカイブ)配信観れる? ~続々・Start Again in West @南堀江knave感想の巻~
トリはShortcut Miffy!。ショートカットミフィーは一言で言えば「かっこかわいい」て感じかな。とくに2曲目3曲目のメンバーのクロゴメッシュさんが歌ってるのが可愛くて「ゴメさんかわいい」てチャットにコメントされるのもたしかに分かるような気がする。なんとなく自分の中の女のコ部分が出てきてるのかなーと。
いや歌てさ、外見上の性別とか年齢とか関係ないと思うんだよね。中身の解放だから、外見に囚われる引きづられる必要は無い。普段は抑えてる部分を出せばいい。ソレが文字通り「表現」だから。その「表現」が他人に喜ばれる場だから。誰だって100%男だったり100%女て人はいなくて、性別はグラデーションだとワタクシは考えるんだけど、ようは割合ね。だから歌い終わってMCに入ったら、失礼だけど普通のおっさんだモンなー。ドラムの人なんかしんどそうにしてるし笑。そりゃ50代だから肉体的にしんどい。中身に肉体がついていけない。でも曲が始まって歌いだすと、魔法がかかる。プレイヤーもお客さんも。だから50のおっさんが「かわいい」て言われる。音楽てそういうモノだと思う。
アンコールもあって、ケッコーみんなワーワー言ってるな笑。まぁ久しぶりの復活なワケだし、そうなるよね。1時間ぐらいで終わった。配信時間は4時間36分30秒。
本来、ライブというのは一回性のモノであって、一期一会だからこそ良いみたいな美しさがある。DVDとか映像として残らない限り、もう同じモノは二度と観れない。だからこそ1回こっきりのライブを集中して観る。頭だけじゃなく体全身で記憶しようとする。だからなのか時が経っても鮮明に思い出すコトもできる。そういう「集中度」という点から言えば、配信は生には及ばないと思う。そういった一回性ならではの「濃さ」から言っても、配信は生に比べて劣るみたいな先入観というかイメージがあるけども、今回視聴して、配信ならではの楽しみ方というか利点もあるな、と思った。
まずは当たり前だけど何回も観れる!気が済むまで何回でも見直せる。今回もメモ取りながら観たけど、じっくりメモを取れるし、セットリストも間違えない笑。歳取ると記憶もあやふやになってくるから、コレはありがたい。
そしてコレは前にも書いたけど、視点が単一ではない、固定ではないというコト。今回視聴する前はもっと「固定な感じなのかなー」と想像してたけど、カメラのスイッチングの激しさよ。
「アホか」と言われるカモしれないけど、ソレには「ハイワタクシアホデス」と答えるしかないんだけどもさ、今回画面に向かって写真をバシバシ撮ってたワケですよ笑。いや~一応DVD持ってたんだけどさー、録画のやり方分かんなくて(アホ)。。どうやって配信のを録画できるのかさー。ソレともできないのかなもともと。
なので、まー写真を撮りまくったワケよ。あとで確認したんだけど、もうスライドショーみたいな感じで、擬似的に動画ぽく見えるぐらいの枚数撮ったなあ~爆。で撮るときにボタンを押すのとシャッター切れるのと若干タイムラグがあるワケ。そのタイムラグの間に画面がスイッチしてしまうんですわ笑。だから巻き戻して今度はそのタイムラグを計算してちょい早めにボタンを押す→シャッター切れる、けど撮りたいタイミングでなかなか撮れない、みたいなコトをケッコーやってて。だいぶ経ってから「あ、コレ画面を一旦停止にすればいいのか、、」と気づいたり。いやコレ動画だってコト忘れちゃうんだよね。まだ普段のライブの感覚が抜け切れてないというか。でもマウスで一旦停止→カメラに持ち替えて写真撮る、てのもなかなかソレはソレでメンドくさい。
視点が固定じゃないから飽きないけど、逆に言えば観たい場面があっても強制的にスイッチされちゃうてのはある。コレはもう一長一短としかいえない。
ただ今回の場合プレミア配信だったからか映像もキレイだったし、音もキレイに聴こえた。生だと普段聴き慣れない轟音にさらされて圧倒されちゃう部分もあるから、細かい部分とか聞き取れないてのはありがちで。だからDAYSなんか「あーこういうメロディだったんだ」「こういう歌詞だったっけ?」みたいな今さら気づいた部分もあったり笑。まーひょっとしたらプレイヤー側からすればソレだけごまかせないてのはあるカモだけど笑、でも細かい部分も聴いてほしいてのもあるでしょ?
あと配信の一番の難点と言ってもいいカモしれないけど、お客さんの状況かつ反応が分からないという点だよな。お客さん側にはまったくカメラが向かないから、プレイヤーの表情とか高揚してる感じで、間接的に「お客さん盛り上がってるんだな」と想像するしかない。会場で観てたら「興奮がうつる」みたいなトコロもあるし、今回みたいな複数のバンドが出るライブとかだと「他のバンドに負けないくらい声出すぜ!応援するぜ!」みたいなミョーな対抗意識みたいなのも芽生える。ソレてまわりに客がいるからなんだよな。で、「どうだ!ウチのバンドすごいだろ!」みたいな笑。別に「俺のバンド」でも何でもないのに誇らしく思える。初めて観た人の「このバンドいいな~」とか、そういう声も聞けないし。まぁそういうのが一切無いからお家でリラックスして観れる、てのはあるんだけども。
だから一番良いのはコロナが終息して、以前のような会場の状況に戻っても、生+配信もやればいいと思うんだよな。まーカメラの問題はあるのカモしれないけど。配信分利益が上乗せできるじゃん。で、客としては生を観て、あとで家でもアーカイブ配信を観ると。そうすればセットリストも間違えない。
配信ながら、14年ぶりにオバコのライブを目にして、やっぱり「時間」に触れなければならない。人というのは、ある時期からどんどん衰えてくのであって、ソレが「歳を取る」というコトなんだけども、ソレは誰もが生きてる限り避けられない。「14年の時を経てオバコのライブを観る、オバコを聴く」というコトに対して、ワタクシにはいくつか危惧があった。
まず自分の心変わりの部分。果たしてワタクシ自体が現在でもovercoat’sが好きな自分なのか?
そしてovercoat’s自体の変容。オバコのあの楽しい感じは残ってるのか?ドラさんの声はどうか?
再結成の話を聞いてからその危惧はずっとあったけど、先日のFMMOOVのポッドキャスト配信で聴いたドラさんの声を耳にして、まずはちょっとその危惧が減った。次の興味として「じゃあ、今度はこの声で歌ったらどうなるか?」というトコロに移った。
でもその危惧は杞憂に終わった。今回のライブを聴いて払拭されたな。初めてオバコのライブを観たときの衝撃に似たモノを感じて、懐かしく思った。むしろパワーアップしたようにも思える。なんだろ?歳を重ねたからなのか、バンドとしての表現力とか力強さが増したように感じる。
ワタクシにとって音楽というのは、無くても生きてくには別段困らないモノであった。だから2006年にオバコが解散して「オバコのいない世界」になっても、別に何不自由なく生きてた。ところがオバコが復活して「オバコがいる世界」になり、今回「オバコのライブを観た世界」になって、やっぱり自分の見る世界が変るんだなぁ~と思った。ネットカフェを出て、地上に上がってきて外を歩くときに、なんだかムダに腕を大きく振って歩いたり、見える世界がカラフルになったり、他人に優しくなったり、この日は1日中気分が良かった。コレが音楽の魔法というモノなのかな。
1つづつ段階を経て、次の段階としては「オバコに会った世界」だな。その世界は果たしてどうだろうか。どう視えるかな。
おしまい