過去があるから今がある。石(意思)が積み重なってココにいる。
ムダなコトは1つもない。未来とは「今」の連続である。

へたな鉄砲数打ちゃ当たる。へたでも打たなきゃ当たらない!をモットーとする
かたことの極私的「雑誌系」サイトです。(since 2004 Feb.)

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 やぎ本。⇒本が大好物なやぎのぢぇーむすくん(a.k.aかたこと)がオーガナイザーを務めるやぎの本棚、略して「やぎ本」。本や本にまつわる情報の紹介。神出鬼没でごくまれに登板します。
 ◇最新本◇  今年(といっても2021年だけど、、)読んだ本。後編 

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 Everyday39(エブリデイ・サンキュー)⇒katakoto cafe、やぎ本。につづくかたこと第3の架空のブランド。かたこと流に「毎日が楽しくなる」新たなアイデアを加えたグッズ関係のブランドです。
 ◇最新グッズ◇  『靴箱→ファイルボックスへトランスフォーム!』 

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 祝☆overcoat’s(オーバーコーツ)再結成記念!!  ワタクシが検索しやすくするため(笑)overcoat’sについて書いたブログをまとめて読めるようにしました。ブログタイトル下のカテゴリー「overcoat’s」をクリックしてね~☆
 ◇最新ブログタイトル◇   『Overcoat's(オーバーコーツ)21年ぶりの新アルバム!『9 numbers,Groovy!』を聴いて。♪♪その5♪♪』 

4日目。その3 〜5日目。

「外で食べてくるから晩ごはんはいいや」と事前に父親が門司のおいちゃんに言っといたのだけど早く戻るコトになったので、門司駅から歩いて門司の商店街のとみやま(スーパー)で夜ごはんを買う。店内をざっと物色したけど、野菜とかはこっちとソレほど値段の差は無い。むしろちょい高くらいかなあ。弁当コーナーで「そういえば高菜食べたいな」と思ったので高菜ピラフと、あと「たこ焼き喰ってなかった」というコトでたこ焼きも購入。8ヶ入りで¥298。こっちとそんなに変わんないか。小さい頃は焼きたてを紙の箱に詰めてもらって¥200で喰えたんだけどな。ばあちゃんも昼ごはんに買ってきてくれたっけ。買い物済んだあとにおいちゃんに連絡いれる。店を出て父親はおみやげ用にひよこの店でひよこ購入。
暑い中とぼとぼと15分ぐらい歩いて家に到着。まだ2時半ぐらい。おいちゃんが出迎えてくれて「夜はそうめんでもゆがいちゃろか?」と言うので「買ってきた」と。澄子ねーちゃんが仕事終ったら顔見せにくるというので、その間に荷物の詰め替え。翌日は東京に帰るので、明日の朝行きがけに駅のコンビニから宅急便で荷物を送る、その荷造りをぼちぼち始める。
澄子ねーちゃんが来た。ねーちゃんは6人兄弟の末っ子で三女。もう60代ではあるので、だいぶ歳の離れた姉さんではあるが、正美兄ちゃんが昔から澄子姉ちゃんと呼んでるのでソレに倣ってる。久しぶりに見た感じはたしかにソレなりの月日は経ったなとは思うけど、でもかもし出す雰囲気とかシュっとしてる感じとか見た目以外のトコロは全く変わらない。ねーちゃんから帰り際におみやげをもらう。おばちゃんからも貰ったし、もうおみやげだらけだ。
風呂のお湯が溜まったので、先に父親が風呂に入り次にワタクシ。「お風呂入りましたー」とおいちゃんに告げて、部屋に入るとすでに父親はもう飲(や)ってるご様子。お墓参りのときに買ってたワインを、ここの人たちは残しても誰も飲まないので呑みきるつもりで。待ちかねてたのか父親早速絡んでくる(笑)。父親が愚痴を言うなんてめったに無いのだけど、「そういえばコレ前回もあったな、、」と聞きながら思い出していた。前回もたしか東京へ帰る前日の夜に父親の愚痴を聞いた記憶がある。今回の愚痴の内容はおいちゃんについてである。
父親いわく「(酔っ払いながら)オレがこっちに来たら、みんなビビってる。なんでか分かるか?」。ワタクシには別段おいちゃんたちがビビってるようには見えなかったけど、親が言うにはさっき澄子ねーちゃんとおいちゃんと話していた時に、お墓について父親は東京で自分のコトは自分で始末するから手はずは整えてるというような内容のコトを話したのだけど、ソレについてとくに何もおいちゃんから言うコトもなかった。言いたくは無いけどオレにだってこっちのお墓に入る権利はある。オヤジにお墓つくるときに金出してくれと言われて出したんだから。ソレに財産分与とか、いやオレは別にいらないんだよ。欲しいなんて思ってないけどよ、とまぁそういうようなコトだ。父親の言うコトがたしかなら、父親の言うコトももっともだとは思う。普通に考えれば自分たちの母親が亡くなって、離れて暮らしてる兄弟がやってくるとなれば、そういう話が出てもおかしくはない。乗り込んできた!くらいのイキオイで戦々恐々とする、なんていうどこかの家族ドラマみたいな光景も十分ありえるワケで。でもソレほどばあちゃんがお金持ちだったともワタクシは思えないし(実際は分からないけども)、そんな戦々恐々なイメージもできない。でもお金があろうがなかろうがそういう話の1つや2つは出てもバチは当たらないだろう。せっかく東京から出てきてるワケだし、電話で済ませられる話でもないだろうし。でもまぁ、おいちゃんは父親の考えを尊重してくれてるんだろうから何も言わないんだろうとワタクシは思ってるけど。
おいちゃんも父親もあまり自分からどうのと口に出すタイプではない。だから間にいる利勝おいちゃんや桂子おばちゃんが潤滑油的に会話をリードしたりコミュニケーションをとるような、そういう性格というか役割になったとも言える。おいちゃんは長男で下に桂子おばちゃんがいてその下に父親。長男と次男であまり会話はなかったのカモしれない。というか父親は中学卒業してすぐ東京に出てきたから、他の兄弟と比べて関係が薄いとお互いが感じてるのカモしれない。父親は東京での生活のほうが長い。すでに50年以上だ。ソレだけ時間的にも、物理的な距離的も離れていれば、関係も密ではなくなるだろうし、いくら兄弟だといってもお互い気を遣ったりはするだろう。おいちゃんはおいちゃんで父親のコトを尊重している。ソレは当たり前だ。東京でずっと暮らしているのだから。
父親にはおいちゃんたちの手を借りずに東京で一人でやっていってるという父親なりの誇りがある。ソレが彼の大きな支えになってる。ただソレが強すぎるから人を寄せ付けない。ソレで母親とも別れたし再婚もしないし友達もいない。簡単に言えば、全て自分一人でできると思ってるから他人がわずらわしい。時が経てば経つほどその「一人でやってる」は強化されてく。おいちゃんに対しての何かワダカマリみたいなモノが愚痴を言わせるのかしら。
ワタクシはおいちゃん好きだけどな。たしかに昔はちょっとおっかないというか近寄りがたいような雰囲気だったけど、今回なんかおいちゃん、ずいぶん気ぃ遣うようになったなあーなんて思ったもん。「風呂の湯入れようかね」とか「夜のど渇いたら冷蔵庫にお茶入れてるから飲みなさい」とか「お吸い物出しといたから、ポットのお湯沸かしといたき飲みなさい」とかいろいろ気を回しては動いてくれて。
たぶんばあちゃんの介護でおいちゃんも丸くなってきたんじゃないかな。ばあちゃんは8年間ぐらい介護施設に居たらしいんだけど、その間おいちゃんが施設に通ってばあちゃんの様子を見に行ってた。ばあちゃんの相手したり、ソコには他のお年寄りもいるだろうし、そういう場にいたから丸くなってったんだろう。もともと社長さんでもあるから決して人づきあいが悪いワケじゃないし。ばあちゃんがいなくなった代わりにワタクシたちの世話してくれて。とっつきやすくなったし、ワタクシを子供じゃなくて「ひとりの大人」として見てくれるようになったというのもあるのカモしれない。だからごはんのときも他愛の無いコトだけどいろいろ話してくれたし、ワタクシからも話したし。逆に父親よりもワタクシのほうが話しやすそうなんだよな。何かあるよとか言うにしても、ワタクシが聞いて父親に伝えるみたいな形。かといって別に仲が悪いワケじゃない。直接の兄弟じゃないからかえって話しやすいのカモしれない。父親だって全面的にばあちゃんやじいちゃんのコトを任せていたワケだし、今回みたいに泊まりにくれば受け容れてくれて世話してくれるし、兄貴に甘えてる部分はあるんだよ。
お互い想いはあるんだよな。父親は何かと九州に気をかけてるだろうし、おいちゃんはおいちゃんの考えもあるだろうけど口には出さないだけで。長男ていう自覚もあるだろうし、長男だから言えないコトもあるだろうし。父親もそういうのは全部解ってるんだろうけど、何か悪態ついてみたいんだろかね。まぁワタクシは兄弟がいないからそのへんはようわからんけど、たぶんこういうのはほっとけば自然に氷解してくモノなんじゃないかね。
でもまぁ、父親からこういう彼の陰の部分というか愚痴を話してもらえる年齢にワタクシがなったのかなーと。こういうコトは息子にしか、子供にしか話せないコトでもあるだろうし、別に悪い気はしない。
そして翌朝、5日目。10時過ぎの新幹線で東京へ帰る。朝方、おばちゃんにこづかいと(この歳になってまだもらうかと思ったが、、笑)「1人でもきなさいよ」というお言葉をいただく。「すいません」と「ありがとうございます」の他に言葉が浮かばなくて、ばかみたいに3回繰り返し言ってしまった。
今回父親は「今生の別れ」ぐらいの思いで九州に来た。もう自分が次に来れるかどうか分からない年齢だからだ。ソレはここの門司のおいちゃんおばちゃんも同じ。彼らもいつまで今回と同じように、変わらずに笑って迎えてくれるかは分からないコトだ。だからもし父親が不自由になって九州に行けなくなったとしても、ワタクシ一人でも受け容れてくれるというのはありがたいなと思った。もう「ばあちゃん」という、ある意味大きなつながりがなくなったから、今度は何を理由に、きっかけにして行けばいいのか分からないけど。でもまぁ次があるとしたら、次は10年ではなくもっと短いうちに行きたいなとは思ってる。

つづく