NO TIME,NO LIFE
さて、1ヶ月以上ぶりのEveryday39です。今月の前半にやろうかな、という予定だったのだけど、風邪をひいて鼻水に思考を奪われて&なんかブログ書く気がしなーいなので、ズルズル鼻水もずるずると(笑)後半になってしまいやした。
と言い訳をしつつ、、このEveryday39を始めて気づいたコトというのがいくつかあって、その中の1つにこんなコトがある。
アイデアがひらめく→第1のヨロコビ
ひらめいたモノを作る→第2のヨロコビ
ソレをブログで発表→第3のヨロコビ
とヨロコビにも3段階あるのだけど、アイデアがひらめいてソレを形にするまで、どうしてもタイムラグが生じてしまう。ホントは「いいコト思いついた!」の瞬間にそのヨロコビを他人と共有できればいいのだけど、まコレはしょうがないですよね。思考は瞬時だけど、ソレを形にするのはソレなりの時間がかかる。なので、次の段階の「ひらめいたモノを作る」時に自分の中でまた第1のヨロコビを思い出してテンション上げる必要があるし、第3段階の「ブログで発表」する際にもまた自分の中で気分を盛り上げる必要がある。自分の中で「過去のヨロコビ」を思い起こしてく必要が生じる。で作ったモノを発表して、他人がやっと目にするコトができるようになるのだけど、例えばソコで誰かから何らかの評価なり意見を頂戴したとしても、ワタクシの中では「もうすでに過去のコト」に評価や意見を頂戴してる状態になってしまう。こちらはこちらで、別の「いいコト思いついた!」に気が向いている「現在進行形の自分」がいたりするので、こちらとしてはそのコトは「通り過ぎたモノ」になってしまうんだよね。
かといってイメージ共有を瞬時にできたとしても、ソレはソレでつまらない。だって思いついたアイデアを瞬時に共有できたなら、ソレをワザワザ作る必要はなくなるよね。そうなるとこの世の表現物の大半は意味が無くなるというか。ワザワザ具現化しなくても分かち合えるワケだから、具現化する必要がなくなる。
所さんは「めんどくさいコトが幸せだ」というようなコトを表現を変えて時折おっしゃるのだけど、不便とか面倒というのは、ネット空間でのポン、パッ!という無時間空間とはちがうので、往々にしてストレスも感じがちだけど、でも不便だからこそ生まれる物語もあるワケで、コレがポンパっ!だったら語るほどの物語も生まれないワケだ。この世が不便だからこそ「いや〜、あん時は何々だったよぉ〜」みたいな話のネタになり、ソレらがひいては人生に彩りを与える、というモノです。つまるトコロ人生、生きるコトソレ自体が基本メンドくさいワケで、この世に生きてるからこそストレスはあれど、語る物語も生まれる、とこういう次第であります。
時間は生きてるからこそ存在する。死んであの世に行ったら、おそらくあの世には「時間」という概念は無い。思考は瞬時。地球の裏側はなかなか鮮明にイメージはできないけど(日本の裏側がブラジルだ、というコトは知ってても)、例えば家からの最寄の駅は鮮明に瞬時にイメージできる。ところが肉体は駅に行くまで歩いていくなりしなきゃなならない。コレが「生きるてメンドくさい」てコトであり、肉体をともなわない思考は時空を飛び越える、といえる。
だからこそ、せっかくなのだから生きてるこの時間を楽しみましょう。